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好かれる人は、好かれた人



佐々木正悟 どうして同じことをしてもあの人はたいてい大目に見られるのに、あの人は必ず怒られてしまうんだろう、という光景をときどき見かけます。人は第一印象で決まるとか、顔がいいと得をするとか、世の不公平に対する説明の仕方もいくつか用意されています。

この種の説明が正しいことももちろんあるでしょう。
でも、意外に見落とされているポイントがあります。

いや、ただ、何となく…

人間は、いつもいつも理に叶った行動を選択的にとるものではありません。というよりも、惰性で同じことを繰り返していた方がラクだと、なるべく深く考えず、保守的な決定に身を委ねるものです。

たとえば「行きつけの居酒屋」というものがあります。そこが特別においしいとか、他店と比較して割安だとか、接客が気に入っているといったような理由がなくても、最初に行っていやなことはなく、その後も何となく通い続けているうちに、「そこに行っとけば間違いない」という心情が形成されるのです。

これが人間関係において適用されている事例も、けっこうあるのです。

あるコミュニティ(会社組織でもけっこうですが)において、なぜか色々他の人に大目に見られている人というのは、特別に魅力的だとか、つい心を許してしまう笑顔をしている必要はないのです。

その人はただ、たまたま最初何か問題を起こしたときに社長などに大目に見られ、以後も何かと「上の人によくしてもらっている」ということになってしまったため、周りの人はその「上の人たちの判断」に右へならえをするようになったわけです。

もちろんこの逆もあるでしょう。

つまりひいきに原因はなく、ひいきされるのは結果が惰性で踏襲されているだけだったりします。組織に新しく入った人(新入社員)などにはこの種の光景は奇異に映るでしょう。

ここからちょっとした教訓が得られます。常にそうだと言えるわけではないにせよ、コミュニティにおいて「よくしてもらえる」か「排他的に扱われる」かは、何らの要因によらない可能性を排除できません。

だからやたらと「原因」を究明しようとしたり、不毛な「努力」をしないということも必要なのです。