仕事中、割り込みが入って嬉々とする、というのは、よほど仕事がイヤで仕方がないケースに限ります。仕事に少しでもやる気が仕事に向かっているなら、割り込まれるというのは非常に苛立たしいものです。
その「割り込み」とは何でしょう?
仕事に集中しているか、もしくはこれからやることを決めたとたん、電話がかかってきたりする。それが割り込みです。
なぜこのとき人がイライラするかというと、決定するというのはたやすいことではないからです。「今からこれをやる!」というのが単なるポーズでないなら、そこそこエネルギーを使って決めたことなのです。
また「今からこれをやる!」というのは、決めただけでは意味がありません。決めて、実際にやって、やり切らなければなりません。好きでやることならまだしも、意志力を使って、ハードルを越えていったと思ったら電話なんかに割り込まれたのでは、腹を立てるのももっともです。
タスクシュートはまさにその「割り込まれて腹立たしい」という思いを記録に残しておくことができます。
たとえばプレゼン資料を作りだした真っ最中に、まさに仕事を邪魔されたりすると、こうなります。
- ■プレゼン資料作成 9:43開始 9:45中断
- □洗濯物の取り込み 9:45開始 ← 割り込み
- □プレゼン資料作成再開
これとToDoリストがいかに違っているか。ToDoリストには「割り込み」という概念を示す手法はないのです。いくらでもタスクを追記していけるリストに「割り込み」はありません。ただのタスクの追加です。
割り込みというのは「いま何をやっているか?」についての記述がない限り、記録には残らないものなのです。そこには現在時刻と行動記録と今後の予定の3つが、少なくとも必須です。
そしてその記述には、当事者をがっかりさせる要素があります。そのやり場のない失望感こそが、現実のものであり、そういう現実を受け止めるのは、他ならぬ自分であると知らされなければならないリストなのです。
そういうリストに正対することで、私たちは力を得るのだと思います。自分は、こういう現実に対応させられているのであり、こういう現実に対応できる人間なのだと、自覚する必要があるのです。
洗濯物の取り込みが終わって、なんだか脱力してしまって、メールチェックをして、返信をして、お昼を食べてから、ゲラの校正をして、ちょっとネットで調べ物をして、気づいてみたら真っ暗なのにプレゼン資料が全然進んでいなくて自己嫌悪に陥るというのは、事実誤認なのです。
「今日は何もしなかった」と人は言いますが、それも誤認です。割り込みに対応したのです。その結果は、自分の仕事の成果としては見るべきものがないかもしれませんが、それだけのエネルギーを使って「仕事」をしたのだということを、誰かが酌み取ってあげる必要があります。
だれも酌み取ってくれないなら、最低でも自分で酌み取る必要があります。それを助けるツールが私たちには必要です。
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