- 1.とにかく批判しない、承認する、を徹底する
- 2.外的コントロールを排除する
- 3.「気持ちはわかる」と言う
- 4.ほめずに承認する
- 5.自分で自分を承認する
- 6.相手に期待しない
人間関係にうんざりしたときに読む本 | |
杉本 良明
日本実業出版社 2008-10-30 おすすめ平均 |
1.とにかく批判しない、承認する、を徹底する
まず、ここからすべてが始まる本です。
この内容からとっさに、「しかし人間、他人のためにも、承認してばかりではなく、ときにはがつんと批判してやることも必要ではないか」と反応した方にこそ、読んでもらいたい本です。
- なぜ批判はいけないのか。
- なぜ承認が必要なのか。
著者は、懇切丁寧にその点を説明しています。批判がいけないのは、批判によって人が何をしようとしているかというと、相手を変えようとしているからです。しかし、人は批判されてもまず変わらない。承認抜きの批判にさらされれば、逆に「変わらないぞ!」という感情に、火をつけてしまう。
これだけならば、「人を変えようと批判する人は無理なことをしている」というだけなので「傷ついた人」には今ひとつ役立たない内容ですが、本書ではさらに大事なことが述べられていて「傷ついた人」も実は、「相手を変えようとしている」から「傷つくのだ」と展開しているところがポイントなのです。
2.外的コントロールを排除する
人を批判する人は、人を変えようとしています。
同時に、批判されてそのことが心から離れなくなってしまう人もまた、批判した人を変えようとしているのです。変えようととまでは言えなくても、変わってほしいと願っています。
この願いそのものが、そもそも無理な願望だと、筆者は言うわけです。
人は根本的に、ちょっとやそっとでは変わらないものです。
それを、口をきわめて批判したり、乱暴な言葉を使ったりして変えようとすること。筆者はそうした言動を「外的コントロール」と呼び、これを廃絶するように訴えます。
「外的コントロール」は無駄な試みであり、有害な試みでもあると指摘します。
「百害あって一利無し」なのです。以下は引用ですが、「外的コントロールでかえられるのは一時的な行動」という点が注目です。
人は外的コントロールで一時的に強制はできます。しかし、人は外的コントロールでは変えられません。私自身も外的コントロールを受けて、しぶしぶ強制された経験は何度もあります。しかし、外的コントロールを受けて、自分が内側から変わったという記憶はまったくありません。誰だってそうなのです。
3.「気持ちはわかる」と言う
このように言うべき理由は、反対意見を述べるときでも、承認欲求をきずつけないためです。
ややおおざっぱに言ってしまえば、人は、
- 反論を述べられても傷つかない
- 承認されないと傷つく
ということです。
だから、まったく同じ事を言う場合であっても、
「言いたいことはわかる。だが…」と言うのと
「そんなのダメだ!なぜなら…」と言うのとでは、相手の受け止め方はまったく違ったものになるわけです。
この「テクニック」についてであれば、類書にもよく書かれています。
しかし、これは単なるテクニックではないのです。本書は、「承認欲求」を傷つけないことを主眼に書かれており、相手をいい気持ちにすることができないとき自分の意見を押し殺してまで、「同意せよ」としているわけではないからです。
4.ほめずに承認する
だから、同意できないことや褒めるに値しないと感じた相手をむやみに褒めるべきではない、と筆者は言います。ここでもまた大切なのは「承認」であり相手を「あげる」ことではないのです。
「褒める」という行為そのものは、もちろん「承認」もしているわけですが褒めない承認というものもあるわけです。筆者があげている例として「挨拶」があります。「こんにちは」は、少しもほめ言葉ではありませんが、存在を承認している言葉ではあります。
人はほめられたいと思うより、心の底では承認を必要としている。
これには、若干異論があるかもしれませんが、ほめられたとなると、そこに下心のようなものを勘ぐることもあります。ここが人間の難しさです。
しかし、承認の下心を勘ぐるということはまずしません。
承認というのは、されて当たり前ではないけれど、当たり前にされることを期待している。そこが大事なポイントです。
5.自分で自分を承認する
これこそが、究極的な目標です。
これができるようであれば、人間関係で致命傷を負うことはなくなるのです。
少なくとも、筆者の考え方によれば、そうです。
人は承認を「食べて」生きる生き物。
承認に「飢える」のはそのせいです。
凹むとは、承認を求めて相手に近づくとき、逆に、食べ物を奪われるようなものです。
自分で自分を承認するとは、実に難しいことのようですが、挨拶も承認の一形態。このことを思い出すなら、自分で自分に挨拶をするような姿勢が、そのまま自己承認に結びつけることができます。
ここでもう一点。他人に対しては私たちは礼儀正しく振る舞い、承認をなるべく与えようとする一方で、身内にはなかなかそうしません。近い人ほど、承認せず、否定します。
自分自身とは、もっとも承認しない存在になりがちです。
この姿勢を改めることも、重要でしょう。
6.相手に期待しない
もっとも難しいのがこの項目です。
私たちは、他人に対してであっても、当然期待していいことを期待してしまいます。つまり、他人に対して承認を期待するのです。
これは、悪いことではないのですが、世の中には人を承認するつもりの全くない人もいます。そうした人に承認を期待するのは、無防備なことです。
ここを取り違えると、どうしても「傷つく」ことになります。
「あの人は、なぜあんな言い方をするのだろう。あんな言い方をしなくてもいいのに」
私たちが傷つき、凹んでいるときは、だいたいこのような感情が内心を渦巻いています。
しかし、「あの人」は「ああいう言い方」を「する人」なのです。それを変えようとしても、無理な話です。変わってくれることを期待すれば、おそらく自分がダメージを受けます。
著者はこう指摘します。「きつい上司」を「普通の人」と思ってはいけない。「妖怪が背広を着て歩いている」と思うくらいでちょうどいい。傷つく側もまた、外的コントロールはやめなければいけません。「あんな言い方をしない」ことを期待しないことです。
まとめ
本書のユニークなところは
- 外的コントロールは悪である
と言いきった上で、「しかしそれをやってくる人がいる。会社の上司などには少なくない」と展開するところです。
ここまでなら、それほど目新しくは感じられません。
次にどう展開するか、私たちはこう想像します。
- 世の中を少しずつでもいいから変えていこう
- 上司の外的コントロールにも一理あるかもしれない。心を開いてみよう
私ならこの辺りで本を閉じます。どちらも無理だから。少なくとも著者にたいして、いい気なものだと思います。
しかし本書の著者は違います。
「凹み、傷ついているということは、あなたもまた、外的コントロールを志向しているのだ」と指摘するのです。すなわち、他人や世の中を、簡単に変えられると思っていると。
「背広を着た妖怪」を変えようなどとしないこと。そうではなく、そうした相手であっても「承認」すること。ほめたたえる必要はありません。こうした姿勢が自分に無理を強いることをやめさせ、その分負担は軽くなるというわけです。
人間関係にうんざりしたときに読む本 | |
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