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三日坊主で終わらせないために



佐々木正悟 タスク管理というのは多くの場合、1つの誤解から失敗が続きます。

「タスク管理の基本的な考え方は、予定どおりにことを進めれば、予定どおりにことが終わると。そういう発想だろう」という誤解です。

世にはたくさんのタスク管理術・スケジュール管理術・時間管理術がありますが、それらに憤りを覚える人はこの3つを一緒くたにして「予定どおりになんか、ことは進まないんだよ!」と腹を立てていることが多いのですが、タスク管理もスケジュール管理も時間管理も「予定どおりに事が運ばないからこそやること」なのです。

私たちの考え方で行けば、特に「予定通りに事が運ばない!」と困っているのであれば、まず記録から入るべきです。これが少なくともタスクシュートの考え方です。そしてしばらくの間、理想的には1ヶ月、短くても1週間は、ただただ記録をとることだけに専念するべきです。

新しい手帳や新しいタスク管理ツールが紹介されているとき、奇妙に抜け落ちている観点があるのです。記録はどこに残していくのか? これが語られていなければ、その記事はほぼ読む価値はほぼゼロです。

新しいタスクをいくら収集してもそれに手がつけられることはないとか、予定をいくら記述してもムダだというのは、すべて「未来の話」です。問題があるのはたいてい、現在のほうです。なぜ未来にやりたいことがいつまで経ってもできないのかというと、それを許さない条件が現在のほうにあるからでしょう。まずはそれをおさえるべきなのです。

現在何をしているか? まるでTwitterやフェイスブックの問い合わせですが、律儀にその問いに答え続けていけば、あっという間に記録が蓄積されるはずです。もしそのスペースがまったく足りないというなら、その手帳なりツールなりを使いつづけるのは難しいでしょう。

同じことを同じように続けて、それが問題だというのなら

人間は、人間に限りませんが、習慣の動物です。知らず知らずのうちに、全く同じ行動を、全く同じように、くり返しているものです。「新しいことを始めようとしても、三日坊主で終わってしまう!」ということがよくありますが、それは当然というものです。

なぜならば、すでに日常生活が習慣で埋め尽くされているのですから、「新しいこと」を始めるきっかけも、それを継続させる条件も、なにもかもが欠けているからです。朝つらい中で目を覚まし、トイレに行って着替えをし、急いで朝食を済ませて、顔を洗って歯を磨き、いつもの荷物を点検したら、小走りに家を出発し、駆け込み乗車でいつもと同じ時刻の電車に乗るという強固な習慣があるというのに、なぜ「朝起きてランニングする」という習慣が続かないといって嘆く道理があるでしょうか?

スケジュール帳に「今日からランニング」と書いたことを思い出すきっかけすら、その中には欠けています。

私たちはいろいろなことを定期的に、それをするのがもっとも自分にとって当然であるというタイミングで、実行しています。肩が張ったら湿布を貼って、雨が降っていなければ観葉植物に水をやり、ティッシュがなくなったら補充します。すべての行動は、生きていればどれも間違いなく、緊急かつ重要です。緊急かつ、重要だから、するのです。

だれが、おしっこすることなんか「少しも重要ではないから」といってお漏らしして平気でいるものでしょうか。「寝てもなにも生み出さない」と言っていつまでも起き続けることは不可能です。1日の仕事が終わったら、リラックスして、つきあいたくもない上司ではなく、どこにいるのか分からないけれど面白いことを言う人がいるから、Twitterをチラ見するのでしょう。あるいは家族からのLINEメッセージをチェックするのです。それらはたしかに、必然的な行動です。

でも誰もそういうことを手帳にもスケジュール帳にも書きません。必ずやることなのに。

未来の計画に書かれることは、ほとんど100%の人々が、ランニングだとか、中国語の勉強とか、仕事とか、食事の支度とか、それだけをやって生きている人など地上のどこにもいない「伝説の人」の生き方の羅列になってしまいます。

人は未来の時間に理想を投影するのです。しかしそれをいくらやっていても、「予定通りに事は運ばないのだ!」という憤りしか生み出さないはずです。

だからまずは記録をとりましょう。記録したとおりに行動すれば、だいたいのところ「予定通りに事が運ぶ」ことになるはずです。私は現にそうしています。朝起きたらまずトイレに行くので「トイレ」という「予定」がありますし、豆乳を温めて飲むという「予定」もあります。これですら「その通りには行かない」ことがありますが、「全く予定通りに事が運ばない」などということはなくなります。

それでももし、同じことを同じように続けて、それが問題だというのなら、現在の日常に一撃を加えられるような1文=1タスクを、慎重に慎重に吟味して追加するべきでしょう。「間違いなく中国語をある程度こなせれば今の日常の現実に間違いなく良い変化がもたらされる!」という確信があったら、そういうタスクを追加するべきです。

ただし、何度も何度も真剣に自問する必要があります。「本当にそうか? 中国語は本当に現在を間違いなく変えることに役立つか?」 「中国語」はいつだって「トイレ」と戦っているのです。「本当に今すぐトイレに行く必要があるか?」という自問に「イエス!」とこたえているとき、人は絶対にトイレに行くでしょう。そこら辺になければ走ってさがしてでも、お金を払ってでも行くはずです。