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これまで情報のインプットを「情報摂取」という捉え方で位置づけてきました。そうすることで、情報との接し方の意味付けが変わるからです。
インプットと言うと、あたかも情報を「仕入れる」ような印象を覚えます。どこかに大きな倉庫があり、そこに情報が詰まったコンテナを一つ置く。そんな印象です。
しかし、私たちは触れた情報に影響受けます。フレーミングといった人間の認知バイアスもそうですが、もっと大きな「何について、どのように考えるのか」もまた、普段触れている情報に影響を受けてしまうのです。つまり、情報は私たちの判断と行動に影響を与える存在であり、それを言い換えれば、
「情報は私たちを構成する材料となる」
となってしまうのです。
そのように捉えるならば、普段接する情報に無頓着ではいられないでしょう。それは、経口で摂取された食べ物が私たちの体を構成する素材となり、だからこそ私たちは普段口にするものに(程度の差はあれ)気を遣うのとまったく同じことです。情報摂取という言い方は、その点を強調する意味があります。
また、もう一つ「情報摂取」という捉え方にはメリットがあります。それはインプット行為の解像度を上げてくれる効果です。
多様な摂取
一口に「食事」と言っても、その内実はさまざまです。毎日食べるご飯があり、たまに食べるおやつ(デザート)があり、さらにたまに出かける豪華な外食があります。あるいは、それらを補うサプリメントも、一種の栄養摂取と言えるでしょう。
これらの「食事」には、優劣も貴賎もありません。単に役割が違うだけです。人は、それらの役割を踏まえたうえで、そのときどきで最適な食事をとります。ただし、デザートを食べ過ぎてご飯が食べられない、という失敗を犯してしまうのも、人間らしい失敗です。
情報摂取も、実は同じように捉えられます。会社員が毎日読む朝刊は、ある意味で毎日食卓に並ぶ朝食と似たようなものかもしれません。ゴシップ踊る週刊誌や漫画雑誌はおやつ的と言えますし、野球を観戦しに言ったり、ライブコンサートに足を運ぶのは外食的と言えるでしょう。
そのような情報摂取にも、もちろん優劣はありません。それぞれに役割があるだけです。その役割を意識すれば、人が取り込む情報の豊かさは向上するでしょう。
逆にサプリメント的情報ばかり摂取して、日常の食事的情報を避けてしまえば、バランスがおかしくなります。
特殊な摂取
上記のように「情報摂取」を、いくつかに分類して捉えると、いろいろなものが見えてきます。そのうちの一つが、「特殊な摂取」です。
たとえば、お相撲さんは、その体重を維持するために、大量の食事を取り、それに見合うトレーニングを行います。普通に生活している人からすれば、異常な量の栄養を摂取するわけです。それもこれも、特殊な環境で仕事をしているからです。
同じような、それでいて逆のことは、プロボクサーに言えます。階級の体重測定をクリアするために、必死の減量を行うボクサーの話は枚挙にいとまがありません。普通に生活している人なら、倒れてしまうかもしれない食事を、やはり職業的要請から行っているわけです。
情報摂取にも似たようなことが言えるでしょう。特殊な仕事に就いている人は、その仕事が要請する特殊な情報摂取を行っています。ものすごく大量に仕入れたり、あるいは極端に減らしたり、といったことを行うのです。
そうした情報摂取は、もちろんその環境では必要なことですが、一般化できるものではありません。お相撲さんの食事を「一般的な健康法」として敷衍できないのと同じなのです。
しかし、情報摂取は、栄養摂取のように「お腹いっぱい」になることは少ないですし、ある日体重計に乗ったら愕然とする数字が表示される、ということも起こらないので、「過剰」なこと__多いのであれ、少ないのであれ__をやっていても気がつきにくいことがあります。それが、情報摂取が抱える課題でもあります。
さいごに
情報のインプット→情報摂取、と捉えることで、「インプット」という漠然とした行為が、よりくっきりと見えるようになってきます。
それは「どのような情報を、どのように取り入れるのか」を考える上で、大きな補助線となってくれることでしょう。
▼今週の一冊:
ひさびさにSF作品でも。
セルフパブリッシングから出発し、その後商業出版、映画化と順調な歩みを見せた作品と言えばアンディ・ウィアー『火星の人』ですが、本作も出発はセルフパブリッシングだったようです。いかにもなSF作品でありながら、非常にテンポ良くかつミステリアスに物語は進んでいきます。ハードさはほとんどないので、気楽に楽しめるでしょう。
» 第二進化 上 アトランティス・ジーン (ハヤカワ文庫SF)[Kindle版]
Follow @rashita2
ついに創刊号が完成しました。数ヶ月間じわじわと作り上げてきたので、感嘆もひとしおです。知的生産の技術についての話題で盛り上がる雑誌ですが、創刊号からそれを「脱」するという天の邪鬼っぷりを楽しんでいただければと思います。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。
» ズボラな僕がEvernoteで情報の片付け達人になった理由