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その本にいつ出会ったのかを記録に残して折に触れてふり返る

大橋悦夫昨日の「のきばトーク08」を聴いていてふと思いました。ある本にいつ出会ったのか、出会った当時の自分はどのような状況下にあったのか、その本から何を学んだのか、その後どうなったのか、といったことは時間がたてばたつほど重要性を増すのではないか、と。



誰しも「この本がなかったら今の自分はなかった」みたいな本が1冊や2冊は(あるいはもっと)あるはずで、そのような「恩師」ならぬ「本師」との出会いについての記憶があいまいなのはいかにももったいない。

というわけで、僕にとっての「本師」との出会いをふり返ってみます。自分でも改めてルーツを探りたいということもありますので。

それは『ワープロ作文技術』という本でした。



『ワープロ作文技術』との出会い

『ワープロ作文技術』に出会ったのは、1994年7月25日、大学3年の夏でした。

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レシートが挟まっていたので確認すると、池袋の新栄堂書店で入手したようです。当時は池袋で塾講師のアルバイトにいそしんでおり、駅と塾の間にあった新栄堂書店(池袋本店)はよく利用していました。ジュンク堂がまだなかった頃で(池袋店は1997年オープン)、西武池袋内のリブロにもよく行きました(いずれもすでに閉店…)。

さておき、当時の自分がなぜこの本を手に取ったのかは詳細には思い出せませんが、タイトルの「ワープロ」という言葉に惹かれたのは間違いないと思います。

かろうじてワープロ専用機が現役で、僕自身キーボードに触れたのはワープロ専用機が最初でした。自営業だった父のためにワープロで顧客向けの案内状作成とラベル印刷などを請け負っており、ワープロには馴染みがあったからです。

購入した日の日記にはひと言だけですが以下のような一文が見えます。

  • 1994年7月25日(月) 『ワープロ作文技術』はかなり面白い。自分のニーズにあっている。

これだけではさっぱりわかりませんが(笑)、とにかくニーズに応えるものだったようです。当時のニーズは一体何だったのか?

『ワープロ作文技術』その後

以下、日記から『ワープロ作文技術』について言及している部分を拾っていきます。先に言っておくと、「当時のニーズ」はわからずじまいでした。

  • 1994年7月28日(木) 『ワープロ作文技術』面白く、毎ページ毎ページためになることが書かれている。
  • 1994年7月29日(金) 相変わらず『ワープロ作文技術』は面白い。
  • 1994年8月22日(月) 『ワープロ作文技術』読み終える。

「なぜ、もっと具体的に書かないのか!」と腹が立ちますが、それから3年後、社会人2年目の秋に久しぶりに言及があります。

  • 1997年11月16日(日) syunのページ転送サービスで朝日新聞の記事を読んでいる。ピンと来た記事は、すぐさまその「ピン」を言葉にして書き留めておかなければならないと思う。『ワープロ作文技術』でいうところの「お魚ちらちら」である。日々の雑踏にまみれて、すぐに見えなくなってしまう。

「syun」というのは当時存在していた、登録したウェブページが更新されるとその内容をメールで送ってくれるというサービスで、有料でしたが非常に重宝していました。

その翌年、会社で先輩と話をしていて、ふと『ワープロ作文技術』のことを思い出します。

  • 1998年5月12日(火) ●●さんとGREPやPerl、UNIX、sed、awkなどの話をしてはまる。PerlはCamel Bookが良いとのこと(中略)ところで、良い本に出会うには、最初に良い本に引き当たればあとは参考文献に載っている本を芋蔓式に辿っていくことにより外れのない知識吸収ができると。そういえば自分も『ワープロ作文技術』から始まって『知的生産の技術』、『発想法』、『理科系の作文技術』と辿っていったのだった。

改めて、『ワープロ作文技術』が“起点”であったことが窺い知れます。

『ワープロ作文技術』から始まる芋づる

今では考えられないことですが、『ワープロ作文技術』では実際に著者が実践しているという次のような手法が紹介されています。

  1. 文章の素材となる文を思いつくままに箇条書きで書く
  2. 印刷する
  3. 箇条書きの単位で細長い短冊状に切り離す
  4. 切り離した短冊を意味の通る順番に並び替えて構成を練る
  5. 構成が決まったら、これに沿って、改めてワープロに向かって清書する

マインドマップはおろかアウトラインプロセッサもない時代ですから、こういうアナログ・アウトラインプロセッサを駆使するしかなかった──洗濯機のない時代における洗濯板のようなもので、それが当たり前だった──わけですが、それでもこの発想は当時の僕にとって十分に刺激的でした。

なぜこれほどまでに印象に残っているかというと、巻末に掲げられていた参考文献がいずれも名著だったからです。








こうして、『ワープロ作文技術』の巻末に掲げられていた上記を含むほとんどの文献を読みあさったのが僕にとっての原点になりました。

『アウトライン・プロセッシング入門』の著者Tak.さんも『ワープロ作文技術』に言及していて、同じ源流を辿ったようです。



なお、『日本語の作文技術』については以下で、


『理科系の作文技術』については以下で、


それぞれ詳しく取り上げています。

『ワープロ作文技術』について書いた最初の記事

その後、会社を卒業しフリーランスになってから1年後、今で言うところのブログを始めます(当時はテキストサイトとかウェブ日記と呼ばれていました)。その中で『ワープロ作文技術』について記事を書いていました。このブログはすでにネット上には存在しないので、手元のバックアップをもとに以下に全文引用します。

2001/02/08(木) 言葉をたくさん知っていることはむしろ表現力の妨げになる

イメージの言語化がやっかいな問題だというのも、本質的にはその、連想の糸のたぐりにくさ、というところからくることである。たとえば語彙が豊富であることは文章を生き生きとさせるためのプラスの要因であるが、そうであればあるほど連想の網目がこんがらかってくることは避けられない。ひいては言葉選びに時間がかかり、なまじっか変な言葉を知っていたばかりに変ないい回しをしてしまう可能性が増す。まぁ宿命だと思うしかない。

木村泉著 『ワープロ作文技術』(岩波書店 1983年)p.95

自分の思いを何とか人に伝えたいと思う。

今のところ言語に頼るしかない。

言語運用能力を磨く方法の1つに語彙の増強がある。語彙が豊かであればあるほどより多くの現実の事象を言葉で置き換えることが可能になる。

しかし、言葉をたくさん知っていることはむしろ表現力の妨げになることもある。

1つの事象に対して複数の言葉が想起される場合、適切な言葉を選択するための基準が必要になる。基準を分解していけば結局は言葉に辿りつく。

基準を持たずに言葉を増やすことは仕切りのない引き出しの中にやみくもに文房具を放り込んでいくのに似ている。後で必要なものを取り出す段になって苦労する。

本当に探しているものが見つからず、仕方なくセカンドベストで妥協する。もっとも、本当に探しているものは、野に舞う蝶のごとく捕らえることは難しい。

仮にその蝶をうまく捕まえたとしても、ピンで止めて標本にしたところで、それは舞っていた時の精彩を欠いた別のものになり果てている。

まさに「なまじっか変な言葉を知っていたばかりに変ないい回しをしてしま」っている好例ですが、当時はがんばって書いていました。

その後も、日記の探索を続けていたのですが、『ワープロ作文技術』よりもさらに前に「本師」があったことが分かりました。

この本については、長くなるのでまた改めます。

↓追記:2016/7/13 書きました。




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