もともと、森鴎外でも、夏目漱石でも、職のある人が、小説というソフトを「もうひとつの手」で書いていたわけです。クリエイティブで食えない時代には、そうでした。いまだって、経済的な本業として時間の融通のきく職業についている作家は、かえって増えてきているような気がします。
たとえば農業の事業化でいうと、あらかじめ収穫に対して目標を設定し、商品化するために田んぼを農薬だらけにして、予定していた量を確実に収穫しようとすると、短期間で土地が死んでいってしまいます。ですから、ぼくが自分の関わっているアイデアやクリエイティブといわれる仕事を目標設定型の事業にしてしまうとしたら、かなりまずいことになるだろうなあ、と思いました。確実に仕事を得るためだけに、農薬をまきまくっていると、もともとの土地が、ほんとうにだめになってしまいそうな予感がしました。
クリエイティブにとっては、定置的な農作業でなく原野を拓いていくような開拓のほうがいいのだと思います。管理できる労働で時間を埋め尽くすよりも、ふらふらした状態を楽しむのが、一番、生き生きするし、効率だってよさそうです。
ぼくにとってインターネットは、いま言ってきたようなとりとめもなく考えてきたことをすべて突破するものに見えました。雇ってくれる人の顔色を見ないで全力を出せるし、何よりも、自分でメディアを持てるし、それに、「走れば走るほど暗くなって、先はどうなるんだ?」と、ぼくと同じような思いを抱えている人々の気持ちを集めることができる道具かもしれないと思いました。
長々と引用してしまったが、改めてキーワードだけ拾ってみる。
- 「もうひとつの手」
- 本業
- 時間の融通のきく職業
- 目標設定型
- 予定量を確実に収穫
- 短期間でだめになる
- 定置的作業
- 開拓的作業
- 管理できる
- ふらふら状態
- 生き生き
- 雇ってくれる人の顔色を見ながら
- 全力を出す
- 自分のメディア
そして、それぞれを対立させてみる。カッコ内は補足立項。
- 「もうひとつの手」 ←→ 本業
- 時間の融通のきく職業 ←→ 時間拘束のある職業
- (結果重視型) ←→ 目標設定型
- (成り行きまかせ) ←→ 予定量を確実に収穫
- (長く続けられる) ←→ 短期間でだめになる
- 開拓的作業 ←→ 定置的作業
- ふらふら状態 ←→ 管理できる
- 生き生き ←→ (淡々?)
- (自分の思うがままに) ←→ 雇ってくれる人の顔色を見ながら
- 全力を出す ←→ (ほどほどにがんばる?)
- 自分のメディア ←→ (既存メディア)
それぞれの立ち位置を縦に眺めてみると、共通点が浮かび上がる。
- 自分本位(気持ちならびに結果) ←→ 他者本位(決定権ならびに目標)
あるいは、
- 思うにまかせる ←→ 思うにまかせない
別のレイヤーで視ると、
- 立ち上げる ←→ 広げる
というところか。
最初は会社組織に属して目標設定型で仕事を始め、途中で結果重視型に転換するという動きを考える時、自分の中心に据えたいものが何であるかを決める材料は、少なからず「本業」から逆噴射的に得られることが多い。
せっかく逆噴射するのだから、そのまま全力で突き抜けていかなくては。