学校の教室の中でも、大人を対象にした様々な学びの場でも、一番たくさん話しているのは、教師や講師です。時間の9割がたは、教師や講師が話しているのではないでしょうか。その意味では、「空っぽのバケツ」である生徒たちに知識や情報をドバドバと流し込むたとえは当たっています。
しかし、約2500年前にあの有名な老子は
「聞いたことは、忘れる。見たことは、覚える。やったことは、わかる」
と言ったそうです。
うまい話は、いくらでもそのときはわかった気にさせてくれますし、いいノートも取らせてくれますが、それらが活かされることはほとんどなく、忘れられる運命にあります。
知ったそばから試してみる。後回しにすれば、それは忘れられる運命に向かう。試してみてうまくいけば、それが次回の「知ったそばから試してみる」を後押しする。
うまくいかなければ、知ったそばから検証まで済んでしまったことになる。どちらに転んでも前には進める。
知ったということは、試すチャンスがやってきたと捉えるのもよいかもしれない。知らないことは試せないのだから。
» 効果10倍の“教える”技術―授業から企業研修まで (PHP新書)