※当サイトはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています。

資産としての時間と負債としての時間

最近は行き帰りの電車の中で『金持ち父さん貧乏父さん』を読んでいます。あまりにも「今さら」の本なので、地元の書店にはすでに見あたらず、入手に苦労しました。(『シリーズ』はたくさんあったのですが。)

私はこうした本を、なにか子供に聞かせるような物語か、小説でも読むような気持ちで読んでしまうのですが、読んでいて「ああ、なるほど!」と納得したところが何カ所かありました。「それで自分はなかなかお金持ちになれないのか!」と。

「お金」を「時間」に置き換えてみる

本書をお読みになった方には先刻承知の通り、この本では「資産と負債の違い」について、少し飽きるほど強調されています。少し飽きるほどなどというものの、私自身そんなふうに「お金」を眺めたことなど、これまでほとんどなかった気がします。会計の知識が全然ないということもありますが、私の父の考え方が典型的な「貧乏父さん」のものだから、ということもあります。

資産は私のポケットにお金を入れてくれる
負債は私のポケットからお金をとっていく

大橋さんが昨日お書きになった通りで、これを読んで「なるほどぉ!」と感心してばかりいてはいけないので、自分なりに納得しようと試みたところ、これをお金の話ではなく時間の話として考えると、妙に納得できることに気づきました。

資産時間は私の自由時間を増やしてくれる
負債時間は私の自由時間を削り取っていく

金持ち父さんが盛んに指摘しているとおりで、私たちは「健康で文化的な最低限度の生活を送る」ことができなくなる不安から、退屈な仕事を耐え、理不尽な圧迫を忍び、寝不足に堪えて仕事を続けます。それでいて「大切なのはお金じゃない」と言う人もいます。お金に縛られていても、お金に縛られているとは考えたくありません。これは典型的な認知的不協和です。

時間にしても同じです。私たちは、現実を直視すれば「自由になる時間」というものが、昨日も今日も明日も、見渡してみてもなかなか見つかりそうもないことを重々承知していながら、「あとでやる」「いつか見る」「そのうち読む」ということになりがちです。その場では読む時間と気力が十分に見いだせないのです。

いつか問題は一気に解決!?

だからお金についても時間についても、同じような夢を見ています。つまり、莫大な大金を手に入れれば、自分の問題はすべて解決すると思ってしまいがちですし、たくさんの時間があれば、仕事にまつわる問題は全部解決すると夢見るのです。

しかし金持ち父さんが言うように、それで問題が解決しないこともありますし、そもそも「大金が手に入れば」とか「たくさんの時間があれば」というのは仮定の話です。その前に打てる手があるなら、そちらを採用した方が建設的でしょう。

金持ち父さんは、お金の問題を解決するために、資産を持つことが何よりだと言います。時間に関する「資産」と言えば、時間を投資することで、将来失われるはずの時間を節約できたり、ほとんど時間をかけずに仕事や生活を回転させられるような知識、技術、仕組み、製品を手に入れることでしょう。

私自身の例で言えば、タッチタイプの習得や、秀丸マクロを勉強したことが、ほぼ間違いなく「時間の資産」と言えます。それらの知識や技術を学んだおかげで、学習に要した時間の、少なくとも千倍は時間的に得しているからです。

また、生活面でいえば、洗濯機や食器洗い機を購入することも、時間資産を持つと言えるでしょう。製品の購入は時間で手に入れるよりも、お金で手に入れるということになりますが、製品を購入することで自由時間を大幅に増やすことができる意味では、時間の投資と言えるはずです。

一方で「負債としての時間」と言えば、たとえば締め切りに追われながら、機械的に原稿を書いていた時間などが、そういえるかもしれません。膨大な時間を投入しながら、成果といえば締め切りを守れたというだけに終わっているからです。それは確かに収入につながっているものの、将来の時間増加にはほとんど寄与していないのです。

金持ち父さんが指摘したとおり、何であれ「機械的」な活動というものは、負債になりやすいようです。本を読んで、深く考えもせず気になったところに付箋を貼り、「あとで読もう」と考える。これは将来の時間を削りにかかっているという意味で、まるで時間のローンを組んでいるようなものと言えます。

こう考えると、「仕事をする」とか「本を読む」と一口に言っても、それが投資としての意味を持つこともあれば、負債としての意味を持つことがあると気づきます。できることなら、資産としての時間を少しでもいいから増やし、将来は「時間持ち」になりたいものです。