※当サイトはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています。

仕事が思うように進められないときは、これを疑ってみる



佐々木正悟 私が、「ビジネス心理についてウェブ記事を一本書く」という仕事を「二つ返事」で引き受けたにもかかわらず、いざ書こうと思うと、まったく筆が進まない、という状況にあるとします。

原因はいろいろ考えられるでしょう。

  • 「ビジネス心理」ならネタがたくさんあると思ったが、いざ書こうとしたらそんなに無かったことに気づく
  • 逆に、ネタがたくさんありすぎて、決められない
  • そもそも「ビジネス心理学」って存在するのかについて思い悩み始める

あたりでしょうか。

これらはどれも「原因」に違いはないと思うし、真実らしく見えますが、現に仕事ができないときに起こっていることはこんなことではありません。

内面に取り込んできた「掟」のせいで、自分なりのやり方を「禁止」されて(して)いることが、最大にして最悪の問題なのです。

「人間ああなったらおしまいやな」

「掟」はさまざまな人物によって私の中に内面化されます。

たとえば父親がいます。

ある仕事について、父親がなんとなく「こういう仕事をするものじゃない」とボソッとつぶやいたようなことを、ふいに心に刻んでしまうといったことがあるのです。

それは父の意見にすぎず、しかも明示的ではなく、ちょっとした批判にすぎません。

しかしそういうものほど「本質を突いている」ような感じがして、知らず知らず、まるで自分の意見のようにして、取り込んでしまうことがあります。

  • 父があのとき言ったことは、確かに一理ある。
  • 父があの時ああ言っただけのことはある。

そんなふうに内面に取り込んでしまうと、とてもやっかいなことが起こるのです。

他人に「こういう仕事は…」と言われるような事態を招き寄せないように、自分にブレーキをかけるのに「役立って」しまうのです。

私が仕事を進められないとき、内心で起こることは、たいていこの「ブレーキ」が原因です。

もちろんブレーキを作ったのは「父親」とは限りません。母親かもしれませんし、幼稚園時代の「せんせい」のこともあります。幼稚園以後にも、中学、高校で「先生」にはたくさん出会ってきました。

本の中にも「先生」はいます。大学にも「先生」はいました。そんな「先生」たちの合体したキメラのような存在が私の中に根付いてしまっているわけです。

このスランプの理由は実ははっきりしている。私はビビり始めているのだ。

書き進めるにしたがって、朝起きた瞬間に恩師たちの苦虫を噛み潰したような顔が浮かぶようになった。

「人間ああなったらおしまいやな」

どこからかそういう声が聞こえてくるのである。これが怖ろしい。

精神分析の世界では、そういう自分を見張る自分のことを超自我と呼ぶ。



本当に?

仕事が進まないとき、このような「声」がしたら私は一つひとつ、「超自我」を「消去」していきます。

具体的には「疑う」のです。

  • 恩師や教師や親は「正しい」のか?
  • 恩師や教師や親が「正しい」として、そうすると私は「正しくない」と言えるか?
  • 恩師や教師や親は本当にそう「言った」のか?
  • 恩師や教師や親は本当に「実在する」のか?

自由にのびのびと仕事をした結果、自分の価値観を形成したような人々から、

  • 「人間ああなったらおしまいやな」

と言われるとすれば、それは恐ろしいことかもしれませんが、実は恐ろしくない可能性も大いにあるのです。

なぜなら、

  • べつに「おしまい」ではないかもしれない
  • そんなことは言われないかもしれない

からです。

▼編集後記:
佐々木正悟



いよいよ発売日間近となりました。
 
私たちは残念なことに、恐怖心から完全に解放される、という経験をめったにしていません。
 
私は倉園さんに9年越しに「再会」してからというもの、
 

  • アトピーが治り
  • 腰痛と肩こりがなくなり
  • 家族との関係が劇的に良くなり
  • 悪夢を見なく

 
なりました。
 
これらはどうしても、タスクシュートでもライフハックでも知的生産でも、克服できなかった難題だったのです。
 
本書を一読していただければきっと、私の言っていることが嘘でないとご理解いただけるはずです。