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「見通し」を失わない限り、前に進むことができる



大橋悦夫今年75歳になる父がこの夏、アルツハイマー病であると診断された。両親とは離れて暮らしており、この事実は母からのメールで知らされた。アルツハイマーという言葉は以前から知ってはいたが、認識の“圏外”にあり、自分(および家族)には関係のない話題として捉えていたようだ。それゆえに、最初はこの事実を受け入れることができなかった。

それでもとにかく「アルツハイマー」という名の付く本を買いあさり、片っ端から読み始めた。

その多くは、診断する側、つまり医師の立場で書かれたものか、介護する家族や家族をサポートする人たちの立場で書かれたものかのいずれかで、読み進めつつもいまいち掴めない歯がゆさを感じていた。

父がいまどのような心境にあるのか? それがわからなければ、自分を含む家族が父にどのように向き合えばいいのかもわからない。

とはいえ、父の心境がわかったところで「正しい」向き合い方ができるのかというと、それもわからない。

本を読み進めつつ、とにかく会って話すべく実家へ。

「食べる」か「寝る」か

父はもともとは会社員であったところを、勤めていた会社が倒産したために、やむなく独立。

独立の経緯やそこから事業が軌道に乗るまでの過程は断片的にしか聞いていないが、息子である僕自身、特に生活に不自由を感じたことはなく、私立の中学(中高一貫)、私立の大学まで行かせてもらい、旅行にも連れていってもらい…、つまり、父は事業において一定の成功を収めていたことになる。

とはいえ、人づきあいが得意ではなく、仕事一辺倒というところがあり、社交的で学び好きな母親とは好対照。

そんな父は、実は昨年春に脳卒中で倒れ、入院と手術を経ていた。これを機に、会社(といっても従業員はおらず父と母の2人だけの有限会社)は清算。

唯一打ち込んできた、父にとってかけがえのない仕事が消滅したことが、大きかったのだと思う。

仕事以外では株式投資やゴルフにいそしんでいたものの、いずれも精神的・肉体的なパワーを要する活動であり、到底続けられずに断念。

あとは食べるか寝るかしか残っていない。

朝食後、そのままベッドに潜り込む父を目の当たりにして、言葉を失った。

「見通し」の喪失

母と2人で病院に赴き、医師から説明を受ける。一言でいうと、

  • 症状の進行スピードを遅くすることはできても、治すことはできない


人はいずれは死ぬ。

それが、不意に目前に迫り、秒読み体制に入らんとしている。

父はどんな心境で毎日を過ごしているのだろうか。

自分は少しずつ死んでいく。

ゆるやかな絶望。

どう受け止めればいいのか。実家に帰ってからもう2ヶ月近くたつが、答えは見つからない。

人は「見通し」が失われると、推進力もなくしてしまう。

アルツハイマー病の当事者目線の記録

そんな中、福祉関係の知人から教えてもらった以下の本を読んで、少し気持ちが楽になった。

父は75歳でアルツハイマーと診断されたが、この本の著者のクリスティーン・ボーデンさんが診断されたのは46歳という、まだまだ現役という段階。

そこから少しずつ症状が進行していくさまを自らの記録を通して伝えてくれる。

» 私は誰になっていくの?―アルツハイマー病者からみた世界


これとは別に、関連書としてAmazonにリコメンドされたのが、以下の本。

同じように早い段階でアルツハイマー(若年性アルツハイマー型認知症)と診断されながらも、めげずに記録を続けることでそのリアルを伝えてくれる、日本人男性による一冊。

PCやスマホを駆使し、フェイドアウトしていく記憶を補いながら逞しく生きていく姿には感銘を受ける。日本人男性の自分にはこちらのほうが読みやすかった。PCやスマホがサバイバルツールとして活躍している。

» 認知症になった私が伝えたいこと[Kindle版]