自分を必要以上に責めて、自信をなくすようなことをしてはいけない。
こんなこと、何度言われても大した役に立ちはしない。と私はいわれるたびに思ってきました。
誰も決して「必要以上に」自分を責めているわけではないのです。「必要だから」自分を責めているのです。なにか心が凹むようなできごとがあったとき「なぜこんなことになったのだ。当然避けることはできたはずではないか」と自然と悔やむものです。
あるいは生まれ持った性格というものが関係しているかも知れません。でなければ、親の育てかたに問題があったのかも知れません。
でも仮にそうだとして、どうすることができるのでしょう? 今さら親に「育て方を違うようにやり直してくれ」といってもしようがありません。「生まれ持った性格」ではどうにもしようがありません。
こんなことをグズグズ考えてきた私という人間は、いうまでもなく「根拠のない自信」というものをいっこうにもてないまま長い期間を過ごしてきました。
自信家に根拠らしきものがないのは気づいていましたし、根拠を証拠立てようとしている時点で、自信を持てていないということにも自覚がありましたが、すでにその時点で手遅れでもあって、だとすると何とも手の打ちようがなく、諦めて「こんな性格」を引きずっていくより仕方がないものと、灰色の気持ちでいたものです。
タスクの記録から自信を持つ?
効果を感じ始めたのは、何か具体的に仕事で成果があったとかではなく、感情的な部分でした。
この引用は、まだ世に出回っていない「原稿」からの一節です。著者はとゆさん。今月中には電子書籍となって刊行される予定です。
この一節は久しぶりに「なぜ自分は実務的な意味だけではなく、心理的にタスクシュートを必要としているか」を思い出させてくれました。信じられないでしょうが、タスクシュートは私に「自信を持つ」ことを可能にさせてくれるツールなのです。少し厳密に言えば、「必要以上に自分を責めないようにする」ことを可能にしてくれるのです。
記録をとるまでは、業務内容を上司に報告するにあたり、前回の報告から何をやったのかを思い返すのですが、日数の割にこれだけしか仕事を進めていなかったのかと自分を責めることが何度かありました。
人は、不完全な記憶しか持ち得ません。その信頼度は、人にもよりますが、高いとは言えないものです。しかし、面白いことに私達は、自分の記憶をかなり信頼しています。他に選択の余地がないように思えるからかも知れません。
「日数の割にこれだけしか仕事を進めていなかったのかと自分を責める」とき、私達は決して「必要以上に」自分を責めているとは思っていません。「必要だから」自分を責めていると思っているのです。「記憶」によれば、自分を責めるのももっともなのです。
しかし、記憶よりは正確であろう、記録によれば、必ずしもそうでないことがわかることがあるのです。
記録があると、仮にこなしている仕事量が記録なしの時と同じで少なく感じても、どういう行動をしていたかが記録からわかるので、なぜこの仕事量だったかが腑に落ちるのです。作業した記録のおかげで「私何もやっていない、ダメだ」と自分をやたらと責めることが減りました。(太字は佐々木による)
この指摘は重要です。記録は面倒だと思いますか? しかし、今まで何年も、何十年も「自分を必要以上に責め続けて」きたものを、今後やめられるかも知れないと思っても、やはり面倒でしょうか?
「仮にこなしている仕事量が記録なしの時と同じで少なく感じても、どういう行動をしていたかが記録からわかるので、なぜこの仕事量だったかが腑に落ちる」というこの経験が、記録抜きにはできないのです。できないから「必要以上に自分を責める」ことになるのです。それは本来持っていていい自信すら、削り取っていくことを意味します。
「そんなことは当たり前のことだ」ですか? 「自分はどうして自信が持てないのだろう?」と苦しい思いをしたとき、「それは記録がないからだ」と当たり前のように発想してきましたか?
デジタルでスッキリする 書類整理ハックス | |
佐々木 正悟 富 さやか
ソーテック社 2013-09-14 |
本書刊行から、ITmediaさんや、読売新聞さんより取材を受けました。やはり「書類整理」という問題でお悩みの方は多く、その対策にスキャナを買ったという方も多く、にもかかわらず「スキャナを使っていない」という方も多いようで、なかなか好評いただいているようです。
もちろんシゴタノ!の読者さんですと、書類整理にスキャナなんて常識かと思いますし、いわれるまでもなく連日使い倒しているという方ばかりかもしれませんが、なぜか紙をことごとく放置して大変なことになっていらっしゃる方も多いので、そういった方にも本書でなくてもスキャナをすすめていただければと思います。
ちなみに富士通様からお金をいただいているわけではありません。わたし程度の活動で協賛していただけるものではありません。(笑)