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ライフログをもてあましていたら



佐々木正悟 一時期「ライフログ」というものがかなりブームになりました。私もそのブームの中で本を書かせていただいたりしました。ライフログブームは、やや恣意的に分類すると、次のような切り口があるかと思っています。

    デジタルノート

  • 仕事に活かすためのタイムログ
  • 思い出のためのフォトログ

  • アナログノート

  • 「1冊のノート」などノート中心
  • アナログの日記帳


以上のすべてをEvernoteに集約していくという壮大な試みもあります。

が、よく聞かれるようになった悩みもありまして、要するに「膨大なログをどう活かしたらいいのか?」という点で悩む人も多いようです。

「未来志向」と「過去志向」のどちらか?

私はかつて、ライフハッカーを2つのタイプに分け、「未来志向」と「過去志向」と分類してみました。

未来志向というのは計画志向と言ってもいいでしょう。ようするに、ライフハックと言えば未来の管理を目指す人です。

しっくりくる手帳を探し、時間の有効活用に強い魅力を感じ、ガントチャートなどで締め切りまでの長期計画を管理したいと「自然に」考えてしまう人のことです。

私もどちらかというとこういう性格を持っています。

一方で「過去志向」ないしは「記録志向」という方向性があります。

こちらの人は見ていると、何はともあれ記録をつける。それが日記ということもあるでしょうし、それこそライフログということもあります。

デジタル黎明期から「パソコンで日記をつける」という「活用法」は厳としてありました。もちろんアナログでも日記帳があり、読書ノートあり、旅の記録ノートなどがあり、ノート術といっても「未来の管理」ではなく「過去の記録」なのです。

自然とIT中心に移行したとしても、予定表やカレンダーにさほど惹かれはせず、タスク管理やガントチャートにもそこまで興味はないでしょう。Evernoteがもっぱら記録のためのツールであれば、使い方にもそれほどまよわなさそうです。写真を撮る機会は多そうですね。そして、これは使い方に悩みそうではあるのですが、動画や音声メモもこちら向きです。

未来志向の人にライフログは悩ましいもの

問題が起こるのは、未来志向の人がライフログをとり始めたときです。ライフハック界隈でライフログがはやったのは、タスク管理でレビュー(PDCA)が強調され出したタイミングと重なっています。

もともと記録志向の強い人は、べつにそれを活用したり、未来に活かしたりせずとも、記録が残っていくというだけで意義があるからいいわけですが、もともとが計画志向の人の場合、「記録をとること自体」に自然な魅力を感じてないため、「記録をとるのはそれを未来に活かすため!」という意識づけになりやすい。

そしてそれが簡単ではないのです。

タスクシュートやタイムログで行動記録を残しておくとすぐわかると思いますが、これを活かすのはけっこう難しい。「ムダな時間を記録しておいて、それを削除する」というのは、一見簡単にやれそうなものですが、膨大な記録の中のどれが「ムダな時間」かを見つけ出すだけでもそう簡単ではなく、「ムダな時間」を見つけ出したとして、それを「削除する」というのはどうやるのか?

過去にさかのぼって削除するわけにはいきませんし、まったく同じムダを省くのならまだしも、似たようなムダとなると、たとえば、記録に残っているムダはのきばトークの40回目を聞いてしまったことだが、41回目を聞くのがムダかどうかは聞いてみるまで分からない、といったような判定の難しさが残ります。

また、一時非常に流行した、移動自動記録のような記録からは、ムダを見つけることすら無理です。

東海道線で本来1時間のところ、人身事故のおかげで2時間かかってしまったというのは「1時間のムダ」かもしれませんが、こういうムダを個人が省いていくのはかなり難しい。そして、オフィスに着いてからは「ずっと会社にいた」という記録だけがあって、その記録からムダを省くことはできない相談です。

それに、ライフログもタイムログもあっという間に膨大な記録になります。たいていの場合、「ムダだった時間を見つけ出す」という作業時間そのもののほうがムダに感じられてしまうでしょう。

「まとめたい」という気持ちを酌み取る

私は本来的には「計画志向」であるため、このやり方には最初からあまり期待しておらず、今ではまったく期待しなくなりました。

つまり、ライフログはライフログであり、計画のために活用するというのは、不可能ではないかもしれないが、私には不可能だと思っておいた方がよかったのです。

代わりに、2つの方針を採用しています。

1つは、記録時の「ムダ感」を無意識という記憶に蓄積していくというやり方です。これにより、計画を立てるときにはその「無意識の無駄感」に警告を発してもらうのです。

たとえば「シゴタノ!」を書く段になって、「ネタはないかなあ~」とネットサーフィンするのは明らかにムダです。しかし、このように言明できるに至るには、それなりの試行錯誤があったのだし、最初から明快に自覚できていたわけではないのです。

早い話、シゴタノ!を書く前の「ネタ探し時間」をきちんと記録し、そしてそれがムダだったから、次からはネタ探しを先に終えておくように計画する、等ということがずっと前からできたわけではない、ということです。

むしろ、「やってしまった!ムダだった!」ということを記録しては自分で痛感し、その痛感が蓄積されることで徐々に、事前にネタ探しの時間をマメに取るようになっていき、やがてはネタを探すタイミングでそもそも書き出しを決めるように変わっていったわけです。現在のいささか洗練された計画は、実はその反映であって、記録を活かした成果ではないわけです。

そしてもうひとつの「ライフログ活用の方針」は、「まとめたいときにまとめる。それがレビューだ」という方針です。

たとえば、食事の記録をまとめたくなるタイミングというものがあります。友達に、「ふだんから記録取っているんだからおいしいお店教えて」といわれて、即座に教えられず残念だったりすると、その場ではログを活用できずとも、その後にログを自分なりにまとめ直すという欲求が生まれます。



こういう時にログをまとめると、それがレビューになります。ああ、友達にはこのへんのお店を教えればよかった、とか思うことがそのままレビューだというわけです。

EvernoteのタグやDayOneの「種類別日記」に最低限の整理をしておくことは、このまとめをつくるときの大きな助けになるし、まとめをつくる意欲を下支えしてくれるでしょう。