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『知的生産の技術』のカード・システムと、Evernote

By: YandleCC BY 2.0


倉下忠憲前回は、名著『知的生産の技術』を現代の視点から眺めてみました。

» 知的生産の技術 (岩波新書)


今回は、もう一歩踏み込んでみましょう。本書で紹介されている「カード・システム」を引きながら、Evernoteの使い方を探ってみます。

求められる機能1:多目的

カード・システムのためのカードは、多様な知的作業のどれにもたえられるような多目的カードでなければならない。よけいなものをつけくわえるほど、その用途はせばめられるのである。

「よけいなものがない」という点で、Evernoteは飛び抜けています。

さまざまなデジタルデータを保存できるにもかかわらず、あらかじめ決められた要素はありません。「レシピ用ノートブック」「住所用ノートブック」といった取り決めが存在しないのです。そうした要素は、あとからユーザーが自分でデザインできるように設計されています。

現にEvernoteは多目的に用いられており、「多目的カード」の機能は十分持っていると考えてよいでしょう。

知的生産の技術としてのカード・システムは、さまざまな場面で、さまざまな方法で、つかうことができるだろう。研究の過程も、結果も、着想も、計画も、会合の記録も、講義や講演の草稿も、知人の住所録も、自分の著作目録も、図書や物品の貸出票も、読書の記録も、かきぬきも、全部おなじ型のカードでいける。

私も上記のようなものを全てEvernoteに突っ込んでいます。それが当たり前になっています。あまりにも当たり前になりすぎて、その利便性に気がつくのが難しいくらいです。

「とりあえずEvernoteに保存しておく」
「とりあえずEvernoteを探す」

これが行動習慣になっていると、情報を探し回る煩わしさからずいぶんと開放されます。

求められる機能2:携帯性

カードをほんとうに活用するためには、しじゅうもってあるくようにしなければならない。そのためには、くふうがいる

だいたいのメモ術が破綻するのはこれです。そもそもとして、メモ帳を持ち歩く習慣が身につかないのです。それをすでに身につけている人にとってはあまりにも簡単すぎて気がつかないのかもしれませんが、常備する持ち物を一つ増やすのは案外大変なことです。

で、何度かメモ帳を持ち歩き忘れてしまうと、メモが散逸したり、「まあ、いいか」いったことになりかねません。蓄積が進まないのです。

記録したいと思った時に、即座に記録できる。

それを実現するために、50年前では工夫が必要でした。いまでは、スマートフォンを持ち歩くだけで済みます。

カードに何を書くのか

ところが「発見の手帳」の原理は、そういうのとは、まったく反対である。なにごとも、徹底的に文章にして、かいてしまうのである。ちいさな発見、かすかなひらめきをも、にがさないで、きちんと文字にしてしまおうというやりかたである。

先ほど書いたように、カードシステムにはいろいろなものを放り込むことができます。が、その中でも、「発見の手帳」の使い方は、知的生産にとって非常に重要です。自らの頭に思い浮かんだ「ちいさな発見」や「かすかなひらめき」を書き留める。それが、知的生産の出発点になります。

受け取った情報をそのままパスしているだけでは__情報発信にはなっていますが__、知的生産にはなっていません。その人の「頭」を通過して生まれて来た何かが含まれていないからです。その何かこそが、「知的生産」という言葉の「知的」が意味するところです。「高い知性」という意味合いではなく、「考えてうまれてきたもの」。それが「知的」という言葉の意味なのです。

残念ながら、そうして生まれて来たものを保存するための装置として、人の脳はあまり当てになりません。よく忘れてしまいます。だからこそ、記録してしっかり保存しなければいけません。これは、Evernoteに限らずありとあらゆるノート術に言えることです。

「発見」は、できることなら即刻その場で文章にしてしまう。もし、できない場合はには、その文章の「みだし」だけでも、その場でかく。あとで時間をみつけて、その内容を肉づけして、文章を完成する。

ポイントは「文章にしてしまう」ことなので、文字入力がしやすいツールがよいでしょう。もちろんノートやカードもその一つです。スマートフォンやパソコンでも文章入力のサポートになってくれます。現代では、むしろキーボードの方が入力しやすい人が多いのではないでしょうか。

また「あとで時間を見つけて、内容を肉づけする」という手法は、inboxの考え方とも相性が良いものです。つまり、iPhoneでとりあえず「みだし」だけを入力しておき、その後自宅のパソコンでノートを整理する段になってから、文章入力してしまう。こういう二段階の工程にわけることも、Evernoteであれば簡単です。

さらにこれを拡げれば、完成した文章をブログにアップすることも考えられます。いや、むしろ表現が逆かもしれません。ブログに書くために、文章化するのです。つまり更新をモチベーションにして、「内容の肉づけ」を促進させるわけです。そうして、自分で書いたブログ記事も、またEvernoteに取り込んでおけば、何の問題もありません。

カードの使い方の基本原則1

カードにかくのは、そのことをわすれるためである。わすれてもかまわないように、カードにかくのである。

ノート術の基本ですね。暗記するためではなく、すっかり忘れてしまっても大丈夫なように記録をとる。すると、次のような要件が出てきます。

カードは、他人がよんでもわかるように、しっかりと完全な文章でかくのである。

走り書きのメモで残しておくのではなく、文章化しておく。先ほども書きましたが、ブログはこのために役に立ちます。私も、自分の過去のブログ記事を読み返して「ふむ、なるほど」と納得したりしますが、文書化しておかなければ、何のことやらさっぱりな状況になっていたでしょう。

カードの使い方の基本原則2

わたしは、カードの左下のすみに、日づけをいれることにしている。また、おなじ項目で何枚かのつづきものカードができることがある。そのときには、一連番号をうつ。

Evernoteでは、日付は自動的に入ります。ノート名を同一にしておけば、連番をうたなくても、検索で全てのノートが見つけられます。あるいは、ノートリンク機能を連番の代わりに使うこともできるでしょう。

一枚のカードには、一つのことをかく。

純粋に書き方の問題です。紙のノートやカードの場合は「もったいない」気持ちが湧いてきますが、Evernoteであれば、一行だけの書き込みでも、心理的抵抗感はないでしょう。

分類について

(前略)カードが何枚たまっても、その分類法についてあまり神経質になる必要はない。分類法を決めるということは、じつは、思想に、あるワクをもうけるということなのだ。きっちりきめられた分類体系のなかにカードをほうりこむと、そのカード派、しばしば窒息して死んでしまう。分類は、ゆるやかなほうがいい。

はじめからあまりカチっとした分類を作らない方がよい、というお話は拙著『Evernote「超」知的生産術』でも触れました。知的生産におけるEvernoteシステムは、情報を細かく分類するためのものではありません。

でも、まったく分類しない(2つか3つのノートブック)というのも、ノートが増えてくれば使い勝手が悪くなってしまうでしょう。その際の分類軸になり得るのが、「自分の関心」です。

ある意味では、それは分類というようなものではないかもしれない。知識の客観的な内容によって分類するのではなく、むしろ主体的な関心のありかたによって区分する方がいい。

図書館的に綺麗に並べるのではなく、「主体的な関心」に合わせて区分する。それがポイントです。だからこそ、知的生産におけるEvernoteシステムでは、ノートブックの分類は十人十色になってきます。そうならなければ、機能しないのです。

さらにその時点ではうまく整理できないものも大切です。

なんとなく興味があるのだが、どういう種類の関心なのか自分でもはっきりしない、というようなこともすくなくない。そのときには、「未整理」とか「未決定」とかの項目をたてて、そこにいれればいい。未整理のカードがいくらふえても、いっこうにかまわない。それこそは、あたらしい創造をうみだす厳選なのである。

私のEvernoteには「アイデアノート」というノートブックがあります。使う場所がはっきり決まっていないアイデアが収納されるノートブックです。ようは、「未整理」のノート群。それらが検索一つで取り出せて、必要であれば別のノートブックに移動可能。

アナログのカードでは、さすがにこの数を扱いきるのは難しいかもしれません。

課題

くりかえし強調するが、カードは分類することが重要なのではない。くりかえしくることがたいせつなのだ。

折に触れてカードを見返し、新しい生産へとつなげていく。それがわざわざカードを作ることの意義です。現実世界での実体を持つ情報カードと、デジタルなEvernoteの違いは、この点にあるでしょう。

「物」というのは、それ自体が一つのリマインダーになりえます。机の上に手帳を置いておけば、「そういえば、今日はまだ手帳を書いていないな」と思い出すことができます。しかし、デジタルなノートにはそのようなリマインド機能はありません。

そのため、ただひたすらにストックしたけど、まったく見返していない、といった状況が起こりえます。それは知的生産という観点からみれば、材料のストックばかり溜まってしまっている状況です。だから、リアルなカードの方が優れている、という主張もありうるでしょう。

しかし、デジタルならではなリマインダーに期待することも、滑稽とは思えません。定期的にランダムでカードを表示してくれたり、位置情報似合わせたカードをスマートフォンやスマートウォッチに表示させたり、といったアナログのカードでは実現できないことも、可能性としてはありえます。

さらに「関連するノート」という機能が、過去にしまい込んだ面白いノートとの遭遇を促してくれることも十分ありえます。これも、アナログの情報カードだけでは実現が難しいものです。

今後、デジタルならではなノートとの再会方法が次々と登場してくるでしょう。そこに期待したいところです。しかしながら、課題もあります。

カードの操作のなかで、いちばん重要なことは、くみかえ操作である。知識と知識とを、いろいろにくみかえてみる。あるいはならびかえてみる。そうするとしばしば、一見なんの関係もないようにみえるカードとカードのあいだに、おもいもかけぬ関連が存在することに気がつくのである。(中略)カードは、蓄積の装置というよりはむしろ、創造の装置なのだ。

今のところ、Evernote単体では、「くみかえてみる」「ならびかえてみる」ことが実現できません(あるいは、たいへんやりにくい)。

蓄積の装置としては抜群に機能してくれますが、創造の装置としてはもう一歩な部分があるのです。それが、どのような形で実現されるのかはわかりませんが、きっとこの課題も時間と共に解決されていくことでしょう。

さいごに

ノートでも同じだが、カードはとくに、長年つづけてやらなければ効果はすくない。いわば蓄積効果の問題なのだから、一時的におもいついてやってみても、なんのためにこんなことをするのか、わからぬうちにいやになる。

カードだけではなく、Evernoteでも同じことがいえます。ノートの数が増えないと__いっそ自分が何を保存しているのか把握できないぐらいにならないと__「記録しておいて良かった」と感じられるシチュエーションには遭遇できないかもしれません。

Evernoteの面白い機能である「関連するノート」も、ノートの数が1000個ぐらいでは、それほど面白みは感じられないでしょうう。

この問題ばかりはどうしようもありません。自分の手でノートを増やしていくしかないのです。

仮に私のEvernoteから「面白そうなノート」を1000個ぐらい別の人のEvernoteにコピーしたとしても、それはあなたのノートにはなりません。もちろん所有権ではなく、あなたの記憶と結びついていない、ということです。なので、ショートカットは不可能です。
※それはそれとして、他の人のアイデアノートは発想の触媒として面白そうですが。

とにかく、「ちいさな発見」や「かすかなひらめき」を書き留めていくこと。それが、__使うツールはなんであれ__知的生産システムの始まりになります。

ぜひとも、(できればこの記事を読み追った瞬間ぐらいから)始めてみてください。

» 知的生産の技術 (岩波新書)


▼編集後記:
倉下忠憲



知らない間に9月が半ば過ぎております。書籍の原稿を書きながら、今月の電子書籍の新刊作業も進めており、わりとてんてこまいな状況ですが、思わず長文エントリーを書いてしまいました。まあ、あと4万字ぐらいは書けそうな気もします。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。