著者は「うる星やつら」、「パトレイバー」、「攻殻機動隊」の押井守さん。
全編、映画作品の解説 → 分析 → 現実へのフィードバック、という三段構成で「あぁ、あの映画はそういう風に解釈するのか!」とか「あのシーンはそういうことだったのか!」あるいは「そこに落とし込むのか!」といった「!」の連続。
人生の時間は限られているので、あらゆることを経験することは不可能。となれば、誰かの経験を疑似体験することで糧にしていくしかない。
映画はそんな疑似体験のためのかっこうの手段といえる。
映画は2時間前後という尺が決まっているので、そこから得られる経験は必然的に「いいとこ取り」のダイジェスト版になる。「このまま15分加熱します、はい、15分加熱したものがこちらになります」という料理番組のごとく、無用な待ち時間はことごとくカットされ、実に効率が良い。
でも、それだけに無駄なシーンはほとんどないはずなので、集中力と予備知識が求められる。
以下はこのあたりについて述べているくだり。
気の利いた映画というのは、こういうふうに、シチュエーションやエピソード、セリフなどにさまざまなピースがはめ込まれています。それをもれなくすくい取って見るには、映画の相当な経験値が必要でしょう。それに対応するだけの引き出しが自分の中にないと、無関心に通りすぎるだけですから。
僕も10にーつでも引っかかってくれればいいと祈るような気持ちで映画を作るけれど、観客はなかなか気づいてくれないですね。「なぜこれだけのことをやるのか」「このシーンはなぜ必要なのか」「この人物はなぜこれができたのか」と反射的に思えれば、必ず脚本家の仕掛けに気がつく。それに気づくには場数が必要で、一生分の映画をもう見ちゃいましたというくらい見てないと気がつきません。
単に感動して終わるだけであれば、映画の値打ちなんてたいしたものじゃありません。
感動以上のものが、映画にはある。それが、人生の判断の引き出しを増やしてくれるということです。ひとりの人生の総量はたかが知れていますから、フィクションを含めなければ自分の人生の引き出しは増えません。(p.80)
というわけで、「映画からもっと多くのことを学びたい!」という気持ちをぐいぐい高めてくれる一冊。