以下の文章を私は何度か読んだことがあります。
最初に読んだのは留学中のテキストとしてでした。リーダーズ・ダイジェストというアメリカでは非常に有名な雑誌に掲載されたという文章でした。
日本ではおそらくD・カーネギーの『人を動かす』(創元社)に引用されて有名なったので、その引用文から紹介しましょう。
かなり長いので一部略しています。
父は忘れる リヴィングストン・ラーネッド
父は忘れる リヴィングストン・ラーネッド
坊や、きいておくれ。お前は小さな手に頬をのせ、汗ばんだ額に金髪の巻き毛をくっつけて、安らかに眠っているね。
お父さんは、ひとりで、こっそりお前の部屋にやってきた。
今しがたまで、お父さんは書斎で新聞を読んでいたが、急に、息苦しい悔恨の念にせまられた。罪の意識にさいなまれてお前のそばへやってきたのだ。
お父さんは考えた。これまでわたしはお前にずいぶんつらく当たっていたのだ。
お前が学校へ行く支度をしている最中に、タオルで顔をちょっとなでただけだといって、叱った。靴を磨かないからといって、叱りつけた。また、持ち物を床の上に放り投げたといっては、どなりつけた。それから夜になってお父さんが書斎で新聞を読んでいる時、お前は、悲しげな目つきをして、おずおずと部屋に入ってきたね。
うるさそうにわたしが目をあげると、お前は、入口のところで、ためらった。
「何の用だ」とわたしがどなると、お前は何もいわずに、さっとわたしのそばに駆け寄ってきた。
両の手をわたしの首に巻きつけて、わたしに接吻した。
やがて、お前は、ばたばたと足音をたてて、二階の部屋へ行ってしまった。
ところが、坊や、そのすぐ後で、お父さんは突然なんともいえない不安におそわれ、手にしていた新聞を思わず取り落としたのだ。
何という習慣に、お父さんは、取りつかれていたのだろう!
叱ってばかりいる習慣-まだほんの子供にすぎないお前に、お父さんは何ということをしてきたのだろう!
決してお前を愛していないわけではない。お父さんは、まだ年端もゆかないお前に、無理なことを期待しすぎていたのだ。お前を大人と同列に考えていたのだ。
お前がこのお父さんにとびつき、お休みの接吻をした時、そのことが、お父さんにははっきりわかった。ほかのことは問題ではない。
お父さんは、お前に詫びたくて、こうしてひざまずいているのだ。
お父さんとしては、これが、せめてものつぐないだ。
昼間にこういうことを話しても、お前にはわかるまい。だが、明日からは、きっと、よいお父さんになってみせる。
お前と仲よしになって、一緒に遊んだり悲しんだりしよう。小言を言いたくなったら舌をかもう。そして、お前が子供だということを常に忘れないようにしよう。
お父さんはお前を一人前の人間とみなしていたようだ。こうして、あどけない寝顔を見ていると、やはりお前はまだ赤ちゃんだ。
昨日も、お母さんに抱っこされて、肩にもたれかかっていたではないか。お父さんの注文が多すぎたのだ。
なお原文が動画になっていたりします。
私はこれを最初に読んだときにはまだ娘がいなかったので、正直に言うとよく意味がわかりませんでした。
今ならさすがに何となくわかります。
もっとも娘はまだ「一人前の人間とみな」すにはほど遠い年齢なのでやはりよくわかってないのでしょうが。
この文章でしかし興味をひかれるのはタイトルです。
「父は忘れる」のです。
もちろんこの父に限らず誰だって相当多くのことを忘れます。
「お前が子供だということを常に忘れないようにしよう」と跪いて決意してもなお半日後には忘れかねません。
人の記憶とはそのくらいのものです。
この問題と闘う唯一の方法は「忘れるということを覚えておく」という心がけだけです。
朝の最初に見るものは?
Evernote、ライフログ、ユビキタスキャプチャ、モレスキン、iPhone、Toodledo、Nozbe…という調子でいくらか続けられますが、目指すところは常に「記憶の補完」です。
補完の仕方は異なるものの、補完を目指している点は同じです。
しつこく記録をとり、しつこく行動をマネジメントし、しつこく小型コンピュータを追い求めるのも「自分は忘れる」という意識から発生する行動なのです。
「自分は忘れない」と思う人はそんな行動をとる気がしないでしょう。
しかし「忘れない」という確信は事実というよりは自信です。
引用文中の「お父さん」も何かを忘れていること自体を忘れてしまっていたのです。
幸いにも「お父さんは突然なんともいえない不安におそわれ」思い出すという意識過程に入ることができたのですが、いつでもそううまくいくとは限りません。
だから「自分は忘れる」という前提から、「最も重要なことを必ず思い出す仕組み」を作っておく必要があるのです。
そうしないと1日ごとに少しずつ記憶が落ち、自分の人格が変化していって、一年もたつ頃には誰とも知らない自分になってしまう可能性があります。
そうなると、元の自分はどうであったかを忘れているため、記憶をたどって元の自分へ帰って行く方法も思い出せなくなっています。
ほとんどの場合毎日過ごす環境と、関係する人がほぼ同一であるため、そこまで極端なことにはならないかもしれません。
しかし、自分自身であることに重要な価値をある程度は認め、しかも「自分は忘れる」という覚えがある人は、毎朝同じものを見たり読んだりして、元の自分を思い出す手がかりを押さえておいた方がいいでしょう。
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本文中で紹介したのはこちらの本からの引用です。
この本の魅力を大きくしているのはエピソードです。
大統領が一度会った人の名前を決して忘れなかったエピソードなど、よく考えてみると超人的な逸話が多いのですが、行動そのものは簡単なもののため可能性を感じさせられてしまいます。
「常に笑顔で」「人の誕生日を忘れない」—これらは簡単にできそうだと思えますか? 無理ですか? しかしこれだけのことをしたら年収が1億円になったとか、大統領になれたといったら?
そうだ、忘れるところでした。
今日はシゴタノ!管理人の誕生日です。
Happy Birthday!