こちらの画像をご覧ください。これはchoiyakiさんのflickrなのです。風景写真がほとんどありません。まさに私がイメージしていたままの「知的生産」がここにあるといった印象です。
きっちりテンプレート化されています。右上にタイトル。左上には曜日つきで日時。あとはひたすらテキストテキスト。これを手書きでやる気にはとてもなれないからこそ、私は「Evernoteに一本化」しているわけですが、そもそもこれをこんなふうに「整然と実現する」ためにこそ私はタスク管理しているのだと気づきました。
知的生産とメモ生産
私の勝手な価値観によるとchoiyakiさんはこのメモ群をflickrにことごとくアップしているだけで、十分食べていけたらいいのに、とそう思います。choiyakiさんだけではありません。こうしたことをやっている全ての人がそうであったらいいのに、と思います。シゴタノ!では倉下さんなどが間違いなくこの種の人々に入るでしょう。
知的生産とは、第一歩としてはメモ生産だと思うのです。最初はタイトルも日付もなくもっと小さな紙切れへの殴り書きから始まる人が多いような気がします。自分へのメモとしてはそれで十分だと最初は考えるからです。しかし実際問題として「未来の自分は他人である」ため、それだけではメモの価値がなくなってしまいます。読めなくなるからです。
ここに「価値」という概念が登場します。メモは読めないより読めた方が価値がある。自分だけでなく、他人が読めた方が価値がある。他人のためにはなんのためのメモかがわかった方が価値がある。他人のためには検索できた方が(デジタル化された方が)価値がある。他人のためにはオンラインに公開されていた方が価値がある。このようにして生産されたメモは、やがてブログエントリとなります。
メモ生産のためのライフハック
「ブログエントリにするというゴールがあると仮定する」ならば、事前にある程度準備をしておいた方が賢明です。というのも、仕事をしながら毎日ブログを書くなどというのは大変ですし、そもそもメモを整理することだってけっこう大変だからです。
「メモ生産」には、メモに書く以前の段階がしばしばあります。たとえば読書をしていたかもしれませんし、読むということであれば今なら、ネットを読んでいて何か着想を得たというケースも多々あるでしょう。だから、Evernoteにウェブクリップという行為は「メモ生産」に限りなく近いものです。
choiyakiさんのflickrにアップされたメモ一覧に私が興味を惹かれたように、これに「価値」を見出す人があるということは、わざわざメモをブログエントリにまで結実させなくても、メモをいきなり公開してしまうという考え方もあるわけです。このことをウェブクリップにも適用するなら、ウェブクリップをした瞬間に、その「クリップしたという行動」をオンラインに公開してしまい、しかもウェブクリップ自体はEvernoteに収集されるように仕組みを作っておけばいい。
というわけで次のような一見複雑な流れができあがるわけです。もちろんこの流れ図の一部はすでに更新されているでしょうし、今後も更新され続けるでしょう。便利なサービスは次々登場するし、こういうことの価値自体が変動するからです。
やっていることは着想を整理して共有までしておくということです。
そんなことをしても、マネタイズにはあまりつながらないでしょうが(先に述べたとおり私はそのことを残念に思っています。だから私はブログエントリにアドセンスを貼ることに反対する気にはなれないのです。メモの一群にネット広告が入ることに違和感を覚えるのは確かですが他にあまり選択肢がないからです)私にはこれが価値あることだと感じられます。要点は、着想を取り逃がさず、あとでわかるようにすばやく整理し、知的生産に確実につなげるという仕組みを、タスク管理に組み込むようなことです。
それをするとどうなるのか?
梅棹忠夫さんは「努力によってえられるのは精神の安静なのである」とあっさり言い切っています。精神が安静になっているからといって銀行の預金額が増すことはあり得ないでしょうが、仕事の価値を継続的に高めることはできるかもしれません。