キャビンアテンダント「離陸前ですのでシートベルトをお締めください」
モハメド・アリ「わたしはスーパーマンだ。スーパーマンはシートベルトなど必要ないんだ!」
キャビンアテンダント「スーパーマンは飛行機なんか必要ないですよね!」(p14)
一般の人が「心理学」と言えば期待する分野である「説得」というテーマについて、心理学はそれほど有益な知見を授けてくれません。
「はい」「はい」と言い続けていると、つい言いたくないことにまで「はい…」と言ってしまうとか、大きな頼み事を断った後では、罪悪感から断りにくくなるので、そこで小さな頼み事をすれば受け入れられるだとか、「これは試してみたい!」とはあんまり思えないようなアドバイスばかりです。
あるいは「説得の4要因(送信、内容、受信、メディア)」のような非常に教科書的な話です。もちろんそれらを起点として認知的不協和とか精緻化見込みモデルのような、鮮やかで面白い実験も行われています。
ただ、これらを知っていれば人を説得できるかというと、相当疑わしいものがあります。「説得の天才」は心理学者でもなんでもない、そこら辺のおじさんだったりすることは珍しくありません。
自分が「説得の天才」にはなれなくても、せめて「説得の天才」がやっていることを説明するくらいはできなければ。そう思った心理学者が書いた本が「瞬間説得」です。
SPICE
本書のような本を読むと、心理学にはまだまだ未開拓のテーマが山のように眠っていると感じさせられます。
著者のケヴィン・ダットンは、面白い事例を豊富に取りそろえています。これだけでもこの本は買って読むだけの価値があります。
その中には、「自分が説得された事例」がいくつか含まれているのですが、これこそ著者を「瞬間説得」というテーマに向かわせた要因でした。
それはこういう体験です。会議のためにサンフランシスコに向かったのですが、なぜか著者はホテルを予約しないまま街に降り立ってしまいます。その結果「殺人鬼が2人組みでうろついているような」危険な地区の「売春宿」のようなホテルに泊まらざるを得ませんでした。
アメリカでそういったところをまともなかっこうでうろつけば、どこからともなくいろいろな人たちがよってきます。私も運悪く経験があります。その人たちはあれこれ言ってはお金を無心してきます。
著者もすっかりそれに「慣れっこ」になってしまって、簡単にかわせるようになったにもかかわらず、ある男にはつい「ある程度の金」を渡してしまいました。その男はボロボロの段ボールにこう書いていたというのです。
「ウソじゃない。ビールが飲みたいんだ!」(p20)
なぜこの言葉が著者を「説得」できたのでしょう? これはなかなか心理学の教科書などでは扱われない題材です。なぜその場にいた他の不幸な人々—「余命半年の元ヴェトナム帰還兵」や「金運に見放されたブラジル人娼婦」や「派手にマリファナの煙を上げている飢えたホームレスの一団」には金を渡す気にならなかったのに、「ビールが飲みたいんだ!」の男には金を渡してしまったのか。
著者はこの疑問を発するところから初めて、『影響力の武器』よろしく動物行動学の知見を用いながら、一気に論を展開します。「瞬間説得」の実例を集めながら、これを「SPICE」と分類・まとめて見せます。
一気に読破した直後の気分はまさに「読めばあなたも気分は説得の天才」です。
エントリ最後に登場した『影響力の武器』はこの分野では古典的な名著です。
私は運悪くコミュニケーション心理学や社会心理学の教科書を先に読んでから、この本を見つけました。
フット・イン・ザ・ドアもドア・イン・ザ・フェイスも少しも面白くないと思う人はぜひ、この本を手に取ってみてください。教科書的というのは、つくづく物事をつまらなくしてしまう元凶だと改めて感じさせられます。