私は『道は開ける』に登場するテッド・ベンジャミーノという「死傷者記録係」の下士官のエピソードに強い印象を受けました。私自身は「戦争」などという過酷な状況を経験していませんから、「極限状況」のエピソードにはつい興味をひかれるのです。
そしてそんな「極限状況」の体験談が、自分もよく体験していることのように語られていると、いっそう興味をかき立てられます。「もしかすると自分が気づいていないだけであって、いまの自分の状況もまた「極限状況」の一種かもしれない」というように思えてくるわけです。
だとすれば「いまは比較的安穏とした生活だから、もっと無理もきくだろう」などと考えるのは愚かしいことだということになります。少なくとも精神的には過酷な状況の中で、無理をして取り返しのつかなくなった話は心理学には山のように転がっているのです。
私は取り返しのつかないような大失敗をするのではないかという不安に駆られて、絶えず心配ばかりしていた。任務をまっとうできるかどうか思い悩んだ。
『道は開ける』(p31)
私たちはつい「戦争」という環境的な状況のことばかりに目を奪われがちですが、テッド・ベンジャミーノは「取り返しのつかないような失敗をするのではないかという不安に駆られて、絶えず心配ばかりしていた」のです。彼にとってなによりつらかったのはこういう精神的なことなのです。そしてこれは
自分がうつになったのは結局、取り返しのつかないような失敗をいつかするのではないかという不安に駆られて、心配が頭から離れなかったせいです。精神的には廃人同然でした。
という告白そっくりなのです。これは私の知人の言です。ある電機メーカーに勤めていたときの苦しさを語ってくれたときの言葉です。
両者の置かれた環境的隔たりにもかかわらず、精神的な苦しさが妙に似ているところに注意を促されます。「取り返しのつかないような大失敗をいつかするのではないかという不安」というものが、どれほど人を苦しめるものなのかと、思いを巡らさずにはいられません。
1日の区切りで生きる
ですからテッド・ベンジャミーノの「転機」には注目せざるをえないのです。彼のような精神状況に置かれた人の「転機」には、きっと参考になることが多々あるように思えます。
一九四四年冬のドイツ軍大反抗が始まったしばらくあとでは、しょっちゅう泣いてばかりいて、二度と正常な人間の仲間入りができないのではないかと思えるほどだった。
私は、ついに陸軍の診療所に収容された。ある軍医の助言によって、私の身に一生の転機が訪れることになった。(p32)
「しょっちゅう泣いてばかりいて、二度と正常な人間の仲間入りができないのではないかと思えるほど」というのはすでにいろいろな兆候が見て取れますが、忘れてはならないのはこの落ち込みが「取り返しのつかないような大失敗をするのではないかという不安に駆られて、絶えず心配ばかりしていた」せいだという点です。
この種の「心配」を自分自身から切り離す必要があります。「心を強くする」とか「気を強くする」ための方法やアドバイスは、なんの役にも立たないのです。「強いか弱いか」ではなく「絶えず心配するかしないでいられるか」なのです。
テッド、君の人生を砂時計と考えてみるんだ。・・・この砂時計を壊さないためには、君や僕が余計な手出しをせずに、砂の一粒一粒がくびれた箇所を通過するままにしておくほうがいい。・・・朝、仕事を始めるときには、その日のうちに片付けてしまわねばならないと思われるものが山ほどある。けれども、われわれには一度に一つのことしかできないし、砂時計の砂がくびれた部分を通るように、ゆっくりと、一定の速度で仕事を片付けるしか手はない。さもないと、肉体や精神の働きが狂ってしまうのだ。(p32)
転機をもたらしたという軍医の言葉は非常に印象深いものがあります。彼は「ドイツ軍の大反抗が始まったが大丈夫だ」とか「死傷者記録という仕事は大変だがそのうちに慣れてくる」と言ったのではありません。「われわれには一度に一つのことしかできない」と言ったのです。テッドは「自分は一気に大量の物事を手際よく片付けねばならない」という思いに追い詰められていたわけです。
十分に能力があるのに、物事がなかなかうまく運ばない人の問題とは、たいていこれです。一度ではどうにもならないことについて、心配しすぎてしまうのです。一度に大量のことについて考えられるということ自体、有能である証拠ですが、たくさん考えれば上手に行動がとれるというものではありません。
何かまどろっこしい感じがするかもしれませんが、気が焦っても手は高速に動きません。「一度に一つのことしかできない」としても一つ何か片づくのです。特に調子が悪いときには「競争」や「賞賛」を頭から追い出して「一つのこと」に熱中するべきです。