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本音を見抜くための3つのルール

1.ボディランゲージを単独で解釈しない
2.言葉との食い違いを探す
3.状況を考慮に入れる

本音は顔に書いてある
本音は顔に書いてある 藤井 留美

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本書の著者であるアラン・ピーズとバーバラ・ピーズ夫妻は、『話を聞かない男、地図が読めない女』の著者として有名です。頭から信じてしまうには、夫妻の「科学的根拠」にはいろいろと注文をつけたい点がありますが、本来退屈な話を、よどみなく読ませる才能に恵まれています。文章を書いて生計を立てるものとしては、うらやましい能力です。

本来退屈な話というのは、そもそも「ボディランゲージ」というテーマで書かれた心理学や文化人類学のお堅い学術書など、かなりの数に上るのです。英語の原書も含め、そういった本を十数冊読めば、非言語コミュニケーションに現れる「本音」について、非常に詳しくなることは、可能です。しかし私たちは、そんな面倒なことをしたくはないのです。

したがって、本書のような本を「鵜呑みにする危険」はとみに指摘されるところではあるものの、指摘する人と同程度の批判精神さえ持っていれば、最悪でも「面白おかしい読み物に過ぎない本を読んでしまった」程度の損失で済みます。しかし私が読んだ限りでは、本書には「単に面白おかしい読み物」以上のメリットはあります。それは、ボディランゲージに注意するきっかけが得られるとともに、どう注意すればいいかのフレームワークが得られるところです。

そのフレームワークというのが、冒頭の3つのルールなのです。

1.ボディランゲージを単独で解釈しない

ボディランゲージつまり「しぐさ」。たとえば腕を組むとか、口をへの字に曲げるとか、目を寄せるとか、鼻をふくらませるといったしぐさには、それなりの情動的背景があります。少なくとも、あることが多いものです。もっともこれは、ありきたりの事例であればごく当然のことです。とてもうれしくなれば、笑顔になるといった程度の話なのですから。

問題は、ではここから、もっと微妙な意味にもとれるボディランゲージを、もっと微妙な情動の働きについて、一般化することができるかどうか、ということです。顔を真っ赤にして今にも飛びかかってきそうな表情のボディランゲージが、「怒り」を表しているのは当然ですが、「作り笑い」はどうやって見抜くのか? 腕組みしていたら、「警戒している」とか「信用していない」などと決めつけていいのか。

当然ここは、難しいわけです。これがそれほど簡単なら、こんな本は出版されないでしょう。

ここで、1つのボディランゲージに、それなりに意味があるとしても、1つだけの時は「証拠不十分」と見なすしかないというのがルールです。「腕を組んでいる」というだけで、「警戒心」と決めつけることは、できないわけです。しかし、「腕を組んでいて」(リラックスはしていない)「口元を隠していて」(隠したい感情がある)「目を合わせようとしない」(本音を読まれたくない理由がある)などの条件がそろってきたら、相手の気持ちを推理しやすくはなります。

文化的背景に違いがあるとはいえ、本書には100を優に超すボディランゲージについて、検討されています。どれも納得がいく、などということはないでしょう。たとえ北米文化を背景にしているという点を考慮しても、「?」という点はあるはずです。しかし、著者も書いているとおり、「ボディランゲージ」は「単語」、それも多義語なのです。たとえば「今の気持ちを教えてください」と言われて女性が「気の抜けたような気持ち」と答えたとします。これだけでは、本当のところ、どんな気持ちかはわかりませんが、ここに表情という情報が加われば、わかりやすくなります。

私たちは言うまでもなく、「表情」を隠すことも、ウソをつくこともできますが、ありとあらゆる点でウソをつくとなると、難しくなります。面白くも何ともない話に耳を傾けながら、作り笑顔をする程度のことは、子供にでもできるでしょうが、思わずあくびをかみ殺したり、気づかぬうちに貧乏揺すりを始めているかもしれません。

2.言葉との食い違いを探す

「食い違い」というのは、大事な情報です。私たちは、「反対要素」を意識した方が、やりやすいと思っているからです。

たとえば、腹を立てていることをごまかしたければ、「全然怒っていない」ことを示そうとしたり、むりやり愉快そうに見せようとするのが、多くのやり方です。怒りをごまかすために、悲しげな表情を装うのは、不思議な戦略です。

こうした話が続くとどうしても、「本音を見抜く」という行為に対するあざとさのようなものを意識することになるので、「そんなにまでして本音を知ろうとしてなんになる」という反発心につながりかねないのですが、(私も実際、この本を読んでそういう感情に駆られたのですが)実際問題としては私たちは、本音を隠し合っているし、本音を見抜きあっているものです。

といのも、こうしたことが全くできなくなる精神障害があるのですが、これはいわゆる「KY」などよりもはるかに深刻で、通常の社会生活を送ることが、困難になります。私たちは、ある程度まで言語抜きでも「会話」をしているからこそ、ふつうにやれていることがたくさんあるわけです。

もう一つ、車の運転をしているとわかりますが、顔の表情はもちろんなく、生き物とも言い難い自動車からも、その「振る舞い」を見れば次に取りそうな行動が何となくわかるし、「怒っている自動車」や「平和そうな自動車」もだいたいわかります。これは少し長く運転している人なら、誰にでもわかると思います。

ボディランゲージは、意味が明示的でないために、言葉に比べて「隠し事」が難しいとも言えます。心と全く裏腹な言葉を発することは容易でも、全く裏腹な声音を作ることは、それほど簡単ではなく、全く裏腹な表情を作ることも、それほど容易ではないわけです。

3.状況を考慮に入れる

ただ、ボディランゲージは状況に左右されるため、つねに背景に情動があるとは限りません。あるいは情動があっても、それがコミュニケーションになっていないこともあります。

たとえば腕を組んでいるとしても、それは単に「寒いから」という可能性があります。この場合、感情の表出と解釈するのはもちろん誤りです。眠そうにしているとしても、話に退屈しているという可能性の他、昨夜徹夜だったのかもしれません。

つまり、ボディランゲージと言えども、発信者の置かれている状況は考慮に入れなくてはなりません。状況から、自然にとっている仕草については、感情の表出という機能を果たしていないということで、除外するべきなのです。

まとめ

本書を一通り読んで、自然と考えさせられるのは、自分のボディランゲージです。ボディランゲージから一般的に心理を読み取るより、まず自分が「伝えてしまっている」ことのほうが、気になってきます。

ポイントは、見抜く・見抜かれるということにあるのではなく、コミュニケーションですから、何を伝えて、何を受け取るかなのです。言葉は、基本的に「伝わるもの」という前提で口にしますが、意外に伝わらないことが多く、ボディランゲージなど、非言語コミュニケーションは、「伝わらないはず」という思いでいるのに、案外と「伝わって」(見られて)いるものです。

本書でも所々で指摘されているとおり、フロイトが「観察して」いたことの何割かは、「ボディランゲージによる無意識の現れ」。そう考えると、口頭でのやりとりが意識上のやりとり、ボディランゲージは無意識のやりとりと見なすこともでき、コミュニケーションという行為の広さについて、自然と意識させられます。

私たちは、当たり前のことですが、意識的にやりとりすると同時に、無意識下でも意思を伝達、交換しあっているのです。コミュニケーションとは、そういった全体的な行為であって、「本音」とはその全体の中にあるものなのです。