一つ一つのページは、芸術作品と呼べるようなものもあり、レシピもあり、雑多な記録(ログ)あり、とさまざまな使われ方をしています。
これを見たとき、ふと思い出したのは『ウメサオタダオ展』です。大阪の民博で開催されていた展覧会で、そこでは梅棹忠夫氏の道具がいくつも提示されていました。
※Facebookページにその時の写真を上げていますので、気になる方は「こちら」をご覧ください。
人生のフィールドワーカー
そこでは、考察記録や行動記録、写真やイラストスケッチ、あるいはお酒のラベルなどさまざまなものがノートに残されていました。圧倒的な数のライフログです。そうしたノートを見たときに感じた印象と、本書を読んだときのイメージは重なるものが多くあります。
一度これらのイメージが重なると、こんな考えが出てきます。
「こうした記録を残していく行為は、人生のフィールドワークと呼べないだろうか」
フィールドワークは現地調査のことです。ウィキペディアでは、
フィールドワーク(英: field work)は、ある調査対象について学術研究をする際に、そのテーマに即した場所(現地)を実際に訪れ、その対象を直接観察し、関係者には聞き取り調査やアンケート調査を行い、そして現地での史料・資料の採取を行うなど、学術的に客観的な成果を挙げるための調査技法である。
という意味になっています。
もちろん、「人生のフィールドワーク」は学術的な成果を目指したものではありません。しかしノートにさまざまな記録を残していく行為には、フィールドワークと近いものを感じてしまいます。
テーマは人によってさまざまです。自分の身の回りの情報を「採取」したり、あるいは自分の心の動きを「聞き取り調査」したり、と手法も多様です。しかし、人生というフィールド歩き回り、その経過をノートに記録していくという点では共通しています。
そう考えると、モレスキンの「堅牢さ」が特徴に上がる点も納得できます。
こうした調査に使われるノートは、たとえば野鳥ノートのように表紙が堅いものが多く見受けられます。野外に持ち出して使うのが前提のノートなので、立ったままで記入できる堅いカバーは重宝するでしょう。さらに、さまざまな場所に持っていくことになるので、多少の酷使に耐えられるものでなければいけません。
おそらくモレスキンノートの堅牢さは、人生というフィールドを探索し、その記録を長期的に残していく上で最適なものなのでしょう。さらにその物質的な堅牢さが、自分の記録の確かさのメタファーとして機能しているのだと思います。
変化する視点
こうした記録を残してい行為を「人生のフィールドワーク」として捉えた場合、それを実行する人に起きる一つの変化を想像することができます。
端的に表せば、それは「受容の拡大」と呼べるでしょう。世界に対して、目を開き、耳を傾け、その感触を感じとる能力が敏感になるということです。
スケッチを描くためには、その対象に目を向けることが必要です。細部を描くには単に「見る」だけではなく、目を凝らすことが必要でしょう。おそらくカラーペンを使っている人は、周りの風景の色について敏感になっているはずです。
自分の心の動きを記録するためには、その声を聞き取らなければいけません。最初の間はうまくいかないでしょう。訪れた異国の地で、慣れない外国語を使いながらアンケート調査するようなものです。でも、やがて会話のニュアンスやイディオムの意味をつかみ取れるようになってきます。同じように、記録を続けていれば自分の心の動きにも敏感になってくるでしょう。
何かについて記録を残し続けていくというのは、それに注意を払うということです。単に目にするとはまた違った心の働きがあります。試しに、一ヶ月ほど日経平均の値と前日比を手帳にでも記録してみてください。それだけで経済や政治のニュースに対する「見方」が変わってくるはずです。
さいごに
私は熱心なモレスキンユーザーではありません。一つの「ノート」として使っているだけです。本書に掲載されているユースケースは、私にとっては敷居が高すぎると感じるものもあります。
それでも、日々の記録を何らかの形で残していく行為には共感が持てます。こうした記録は、一度失われてしまったら再びアクセスできなくなるものであると共に、記録を残していくという行為そのものが日常の「視線」を変えるからです。
変化した視線で見つめた世界は、記録として残り、それを見返すことで再び体験することができます。
本書のユースケースに接すれば、その世界が擬似的に体験できるかもしれません。
▼関連リンク:
・フィールドワーク – Wikipedia
・5月29日 ウメサオタダオ展にて (1)
▼今週の一冊:
最近読んだ本というと、次の一冊。新しい時代には新しい働き方が登場する、という内容。
これからは「アーティスト」として生きることが必要だと著者は主張しています。「アーティスト」として生きるというのがどういう意味なのかは本書をあたってもらうとして、言われたことを単にこなしているだけの人が、徐々にしんどくなってくることは間違いないでしょう。
ただ、ここまではっきり書いてあると拒絶反応が出てくる人もいるんじゃないかと心配になります。でも、実際こういう新しい働き方をしている人は現実的に増えてきてるんですよね。後は、その現実とどう向き合うかという問題だけです。
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方向性は全然違いますが、9月23日に私が書いた「手帳」の本が発売されます。Evernoteバリバリ使っている人が、使用アナログツールやその方法論についての本です。詳細はまた告知エントリー書かせてもらいます。
▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。
PDF: 226ページ