仕事が楽しくない(できない)原因と考えられるもの。
- 1.そもそもその仕事に興味がない(割り切っている)
- 2.仕事というのは本来楽しむものではない(言い切っている)
- 3.楽しくしたいのにうまくできない
1と2についてはここではサクッと触れずにおきまして(笑)、3について考えてみましょう。
仕事がうまくできないときの共通点
うまくできない理由としては、これまでも何度か触れてきましたが、
- 1.なんとなくやる気が出ない → 交感神経を刺激する!
- 2.やることが多すぎてどれにも手が付かない → あえてプアーな環境に身を置く
- 3.ずるずると先送りしてしまう → 小さな作業に分解し、達成するごとにごほうびを出す
- 4.仕事の洪水に溺れる → “地図”を使う
- 5.課題を乗り越えられない → 課題を前向きな質問に変換する
- 6.必要なメールが見つからない → 過去のメールを瞬時に検索する
まだいろいろありますが、とりあえずこれだけ並べてみて気づいたことがあります。
それは、「仕事を思うようにできない」という共通点です。ということは、自分の思うようにできれば、仕事が楽しくなるのではないでしょうか。
仕事を思うようにできるようにするには?
仕事には3つの成熟過程があると考えています。
- 1.最初は右往左往の試行錯誤
- 2.慣れてくるに従って、迷うことが少なくなりスピードも品質もアップ
- 3.だんだん飽きてきてやる気も能率もダウン
「仕事を思うようにできない」のは1か3のいずれかでしょう。1については、「やれ!」(やればわかるさ)ということにして、今回は3について掘りさげてみます。
つい最近、このブログにもトラックバックやコメントをくださっている「のきばさん」の著書『「ロボット」心理学』を拝読しました。
この本では、人が備える「ロボット」という認知的な「学習装置」について詳しく解説されています。例えば、人が繰り返し同じ作業を行っていると、ほとんど無意識のうちにその作業を処理できるようになります。これが「ロボット」の仕業だというわけです。一見便利なこの「ロボット」ですが、そもそもなぜ人には「ロボット」が必要なのでしょうか?
何よりも押さえておく必要があるのは、「ロボット」は心理学用語でいうところの「自動化(オートマティゼーション)」であり、複雑な一連の作業を楽々こなせるようになるための、複合的な記憶力の産物だという点だ。生きていくことは、じつに複雑で大変な作業の連続だ。だから、もっと容易にヒトが生きていけるように、「ロボット」が手助けしてくれるわけである。重要でない仕事は「ロボット」に任せてしまおうということだ。
つまり、「ロボット」の目的とは、「重要なことだけに、ヒトの注意を向けさせること」である。重要でない仕事は「ロボット」に。大事なことは「人間」が。
生物にとって何よりも大事なことは、生きることだ。生き延びるために何よりも重要なのは、危険を察知することだ。だから、極端な話、「危険でないもの」は全部、「ロボット」に任せてよいわけなのである。大事なこととは「危険」に「注意」を向けることである。「危険でないもの」は「ロボット」が「処理」してくれればいい。「人間様」が「注意」する必要はないのである。
このくだりを読んで、今まで何となく感じていたことがスッと腑に落ちました。
本書ではほかにも、
- なぜ1冊の童話、1冊の漫画、1枚のCDで人がずっと満足できないか
- ついつい先延ばしにしてしまうのはなぜか
- モノを捨てられないのはなぜか
などについても「ロボット」との関わりをまじえながらわかりやすく解説されています。
飽きを防ぐには?
では、飽きないようにするためにはどうすればよいでしょうか。それは、僕なりの解釈では、仕事を「ロボット」に任せるときに、丸投げをせずに、「ロボット」に任せることでラクになった気持ちを残しておくことです。
例えば、慣れてきて、さほど考えなくても手が勝手に動くくらいの熟練した作業があるとします。この段階にいたるまでには様々な試行錯誤やいろいろな支援ツールの活用があったはずです。このとき、
- おぉー、こうすれば早くできるんだ。すげー!
- このマクロを使えば1発でレポートが出る。こりゃラクだ!
などの驚きや感動を、その作業をするたびに思い出せるようにするのです。具体的にどうすればいいのかと言われると自分でも良くわからないのですが、僕自身は何かマクロを作りたい、あるいは仕事を早く終わらせたい、と思ったときに上記の感情が甦ってきて、それが原動力になっています。
ある意味、自己満足なのですが、まずは自分を“起動”しないことには始まりません。そのうえで「仕事が思うようにできる」ようにやり方をアレンジしていく、その自由に、そのプロセスに、楽しさがあるのだと思います。
楽しむことまで「ロボット」に任せてしまう必要はないわけです。