が、このお話に信憑性を持たせているのは、続くエピソードとしてやはりご本人が述懐していることです。
小泉さんは、バイオリンのプレイヤーでいるうちには音楽を堪能する余裕もなかったので、むしろ「聞くだけの係」になってみた後の方が、音楽の良さを理解できるようになったということを言っています。
これは私にはとても本当らしく思えます。こういうことって、じつによくあることなのです。
「自分は漫画を読むことならできるが、とても漫画は描けない。だからいくら漫画が好きでも、それで食っていくことはできない」と思ってしまいやすいのですが、これはとてももったいない思いこみというものです。
現実は厳しい? 本当に?
これを漫画から文章に切り替えてみると、もっとよくわかることがあります。
本などというのは、読むのと書くのは紙一重だからです。
私は最近まったく時代遅れにも、「機動戦士ガンダム」をオリジンのコミックから小説からビデオまで、だいたい制覇してしまったのですが、こういうことを短期間で集中してやると、妄想が広がってある意味とても困ります。ギレン総帥が夢にまで現れるのです。
ガンダムの創作に関わっていたすべての人の脳内は、きっと今の私とよく似た状態にあったはずです。
書籍を脱稿する最終フェーズにさしかかるころの私の脳内と、私の本をくまなく読んでくださる好事家(失礼!)の方の脳内は、きわめてよく似た状態にあることでしょう。違いといったら、その脳内を文章化するかしないかだけです。
けれど「夢を見られない人」は、そこに大きな差を見てしまうのです。好きなことをして食えるかどうかという議論が出ると多くの人がそれをします。「脳内で好き勝手に楽しむだけならいくらでもできるけど、現実はもっと厳しくて云々」と言い始めるのです。
そのときに人々が気にすることは、とても些細な話です。歳を取り過ぎているとか、誰もオファーしてこないとか、スキルがあるとかないとか。
ガンダムを書くのにふさわしい年齢とはいったい何歳でしょう。ガンダムの原稿の一文字目を描いたとき、作者はこれでお金儲けができると確信していたものでしょうか? ガンダムのお話を書くためのスキルとは一体なんでしょう。ミノフスキー粒子 – Wikipediaに関する正確な知識でしょうか?
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今回で2回目となる「鎌倉」で「金曜夜」に「ご機嫌な生き方を採択するための」ワークショップが開催されます!
私は裏方のお手伝いですが、ちょっと他にないユニークで、それでいてとても気が晴れ晴れするイベントです。
お値段も格安ですし、軽食もつきます。
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