慎重な人であれば、仮に「宗教的活動の、非宗教的な部分を、日常生活に役立つよう応用した技術であったとしても、近づきたくない」と思われるかもしれません。私は父が僧侶ですから、日常生活とは即、宗教生活というようなものでしたが、それでも上記の態度はある意味、健全さの表れだと思っています。
以上で瞑想法についてのいいわけは終わりにして、本題に入りたいと思います。
本書、『なまけ者の3分間瞑想法』は、結局他の瞑想法の本と内容的には大差なく、それでいてアメリカ人に受け入れやすいよう、細心の注意が払われています。そのため本書の欠点は、「宗教色をまぶそうとしている」か、「著者が軽薄」なのか、あるいはその両方になってしまっているのですが、その点に目をつぶることができれば、瞑想法のマニュアル的入門書として、ベストの一冊と言えます。
といっても意味がわかりにくいと思いますので、その欠点付きで使い勝手のよい「瞑想法」を、いくつかリストアップして紹介しましょう。
思考の数を数える瞑想
このエクササイズは、あなたの注意を思考の内容から引き離す効果がある。
このように、方法と、効果と、瞑想の目的を順々に、懇切丁寧に説明しているのが本書のスタイルです。つまり、瞑想というものについてよく知っている人の読むべき本ではありません。
どちらかというと、コンピュータのマニュアルのように、瞑想について述べているのが本書なのです。思考の数を数えるとか、呼吸の数を数えるとか、何かあまりに「初歩的にも度が過ぎる」ようなことをなぜするのかについて、本書以上に平易に、かつあくことなく説明してある本は、あまりありません。
思考に名前をつける瞑想
楽な姿勢で座り、意識に入ってくる思考を一つ一つ観察する。観察して、それがどの種類の思考に入るかを分類したら、すぐに次の思考を探す。どのタイプにも分類できない思考が浮かんできたら、適当に新しい種類を作ってやればいい。
本書はこのように進みます。「初歩的にも度が過ぎる」ところからすでにそうだったのですが、普段まずやりそうもないことをやっているだけに、少し応用的な話になると、とたんに難しくなります。
ヨガのポーズのようなもので、どう考えてもばかばかしいポーズもあれば、雑伎団にでも入れというのかと言いたくなるようなポーズまで、一連のつながりの中には、実行不可能としか思えないような「方法」が含まれているわけです。そうした方法には、拘泥しないことです。どちらかと言えば、難しい「技法」をこなせるようになることより、易しすぎるくらいのことを、確実に継続できるようになることの方が、「瞑想法」の目的には叶っています。
思考のクサリを見ぬく瞑想
これをやってみると、たとえば、それまではふいにやってくると思っていた罪悪感も、実はその前にあった怒りの思考が原因で、その怒りの思考も、その前に無力感があったためだといったことがわかってくるだろう。
わかったところでどうするのか、という問いがとっさに浮かんだ人は、本書を一冊通して読む意味があります。それがわかるようになるなら、たしかに悪くないと思った人には、本書は必ずしも必要ないでしょう。
自分を追い込んだり苦しめたりする、少なからぬ要因が自分自身であって、その主要因をコントロールすることができれば、それだけでも心理的に大いに違う、というのは事実なのですが、本当に苦しくなってくると、その知識だけでは不十分なのです。この知識を実際に応用する方法の一つが、「瞑想法」であるわけですが、「3分間」では身につきません。
つまり、「3分間瞑想すること」が自然とできるようになるのが理想的で、本書はそれを可能にするマニュアルなのです。
以上のとおり、本書から「思考に関する瞑想法」を3つ紹介しましたが、実は4つあります。そしてその4つの最終目標は「心を観察すること」にあります。非常にありがちな知識だ、と思われた方も多いでしょう。実際、本書に述べられている内容に、目新しいものはありません。しかし、繰り返しになりますが、非常に懇切丁寧なのです。
つまり、行間を読んだり、言わずもがなといわんばかりのところで煙に巻かれたくない。そんなうさんくささには騙されたたくない。でも瞑想法への興味はゼロではない、という人にうってつけの一冊です。