先週5月22日(金)は、『小さな会社の トクする 人の雇い方・給料の払い方』の著者・井寄奈美さんの出版記念パーティーにお邪魔してきたのですが、会場には久米信行さんもお祝いに駆けつけておられました。
でも、「すごい方法」や「スマートなテクニック」を期待すると前作(『すぐやる!」技術』)同様に肩すかしを食らうことになります。これについては、著者も認めています。
難しいことは、ほとんど書いてありません。おかげさまでご好評をいただいた前著『すぐやる!」技術』と同様に、成功した人たちから見れば、「当たり前すぎるほど当たり前のこと」も多いでしょう。
僕自身も、「え、えぇ~?」とか「んー?」という微妙な読み応えのままに読み進めていました。
オチのないショートコントをえんえんと見せられているかのような、笑いたいのに笑えない、ある意味では“クリフハンガー”な宙づり状態。
でも、「あること」に気づいてからは急に読み応えが出てきて、「うわ!」とか「確かに!」と腹にずしんと落ち始めました。
こんなとき、どうする
本書は、選ばれたい、認められたい、と思うものの、それがなかなか叶わない人に向けて、ありがちな悩みの例を挙げ、それに対して「こうすればいい」という具体的な対策を解説する、という構成になっています。
例えば、以下のような具合。
●有名優秀な人には見向きもされない
たとえば、取引先の経営者、愛読している本の著者、著名なコンサルタントや大学教授などの講演会などは、自分より優秀な人とお付き合いを始める絶好のチャンスです。
それなのに、自分などお付き合いをしたくても「できるはずがない」と諦めてはいませんか?
(中略)
生涯のお付き合いが始まるかもしれないのに、「引っ込み思案」の人が多くて、つくづく「もったいない」と感じます。
ということで具体的な対策として「生涯の師と会う前後に実行したい15の習慣」が紹介されています。項目のみ列挙します。
- 講師や所属団体の名前で事前にネット検索をすること
- 関連のウェブサイトや紹介記事・インタビューを読むこと
- 個人ブログや連載コラムなどを読むこと
- 著書を買い求めて読んでおくこと
- ご本業の商品やサービスを味わっておくこと
- 好きな映画や本、食事などを知っておくこと
- 一番前の席で講演を聴いて見つめてメモを取ること
- 一番手でツボを心得た質問をすること
- 講演終了後、真っ先に講師と名刺交換をすること
- 講演の感想などをすぐに自分のブログに書くこと
- ブログと連動したお礼メールとお礼状を書くこと
- 講師のメルマガやブログを登録して読み続けること
- 時にはブログコメントやメルマガ返信で感想を伝えること
- 講演会や勉強会などのイベントに足を運ぶこと
- オフィスや自宅を訪ねること
他にも次のような悩みに応えており、特にこれから成功を目指す人にとっては有用な内容といえます。
- 叱られると凹む
- 相手の気持ちを動かせない
- 「空気」を気にしすぎて動けない
- 否定されるのが怖い
- 自分の考えが相手に伝わらない
- 他人に誇れるものが何もない
- 人前に出るような性格ではない
- 「ありのままの自分」を理解してもらえない
など
あえて変人になる
個人的にいちばん勇気づけられたのは、変人であることに誇りを持とう、という主張です。
たとえば、20年近く前に私は丸の内の証券会社本社まで自転車通勤を敢行していました。今では当たり前の自転車通勤ですが、当時は、盗まれないように車輪をひとつ持ってオフィスに入る私は、明らかに変人扱いされていました。
(中略)
不思議なことに、3ヶ月ほどで、みんなも「変人ぶり」に慣れ、私自身も「変人と扱われること」に慣れました。そして知らず知らずのうちに、これまでにない潜在的なパワーが私の底から湧き上がるのを感じました。
僕自身、新卒で入社した会社で同じように感じたことがあります。東京出身で東京で就活をしたのですが、入社後に配属されたのは大阪本社。経緯は長くなるので省略しますが、僕にとって大阪という未知の舞台は、それまでの自分を捨てて、ゼロからスタートするにはふさわしい環境だったかもしれません。
どちらかというと内気で人見知りだった自分の殻を破り、今までにない自分を積極的に出していった結果、“ネイティブ”の人たちからは「いちびり」と茶化されましたが、そのように持ち上げられる(?)のも心地良く、楽しい4年間を過ごすことができました(最後は体を壊して東京に舞い戻り、紆余曲折を経て今に至る)。
友人・知人のいない見知らぬ土地で仕切り直しができたおかげで、心置きなく自分の中の「変人性」を発露することができたのだと思っています。
同じようなことは、ホームステイや海外留学によっても得られるでしょう。積み上げてきた実績やプライドを一度リセットせざるを得ないような環境に身を置くことは、自らの内に宿る「変人」を覚醒させるのです。
「当たり前」の本当の意味
冒頭で書いた、それに気づいてからは急に読み応えが出てきたという「あること」とは、端的に言えば、以下のエントリーで書いた「スル」から「サセル」へのフォーカス・チェンジです。
» 自分も成功し、同時に周りの人にも成功してもらいたいと思っている人のための一冊
世の中には、成功するための本(スル本)はたくさんあるものの、人を成功させるための本(サセル本)というのはあまり多くないのではないかと思っています。
何はなくとも、まずは自分が成功をしないことには始まりませんから、これは当たり前と言えば当たり前なのかもしれません。でも、人を成功に導くという行為そのものも、成功の一形態と言えるのではないかと考えます。
本書もまた、成功を志向して読む、すなわち「スル」志向で読むと、当たり前のことばかりで「なんのこっちゃ」という肩すかしに終わってしまいかねない一冊です。でも、誰か身近な人を想定して読む、すなわち「サセル」志向で読み始めると、途端に視界が開けてきます。
「そうそう、あいつに足りないのはココなんだよな」とか「この言葉は是非あいつに教えてやらなければ!」などなど、いてもたってもいられなくなるのです。
本書にこのような“効能”が認められるのは、著者自身がこれまでに「サセル」で苦労を重ねてきたからこそでしょう。
世の中にあることの多くは、「スル」のは簡単でも「サセル」のは難しいものばかりです。
生まれてきて大人になること(スル)より子どもを生んで育てる(サセル)こと、自分でやるより部下にやらせること、理解するより理解させること、(自分一人が)食べるより(家族を)食べさせること、笑うより笑わせること、生きるより生かすこと。
いずれも、「スル」があっての「サセル」です。「スル」なき「サセル」はあり得ない。
つまり、「サセル」の本義は「スル」にあるのです。そうなると「当たり前」に注力することが「サセル」の唯一の近道になります。
そもそも「当たり前」という言葉の語源は、一説によると「狩猟における一人当たりに分配される分け前」から来ているそうで、「当然与えられるべきもの」というより努力の末にようやく与えられる、もっと言えば、努力の末にしか与えられないもの、ととらえることもできます。
そう考えると、一見「当たり前」のように思えても、本当に「当たり前」なのかを改めて子細に点検してみることは無駄ではないでしょう。手間がかかったとしても、そうした努力の積み上げがあって初めて「当たり前」に到達できるのであり、その先に一人前として「認められる」という評価が下されるからです。
逆に言えば、労せずして「当たり前」を手にしようとする人は、いつまでたっても「認められる」ことはない、ということでもあります。
そんなわけで、本書は身近な人を思い浮かべながら「サセル」の視点で読んでみることをおすすめします。
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同じテーマを別の切り口から論じた一冊。こちらも「サセル」の視点で視界が開けます。
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