ブログのアイデアを得る手段は本だのテレビだのと色々ですが、ネタが尽きかけると必ずやっていることを、その時1つ再確認しました。
他人のブックマークを辿っていくことです。書きたいテーマについてのタグを使って、どんどん渡り歩いていくのです。
それで面白そうなエントリにあたるということもありますが、むしろよくあるのは、新しい視点が自分の頭の中に労せずして組み込まれることから、ブログの新しいテーマが半自動的に涌いてくるのを利用します。
ブックマークは露出した脳
とくに上手にブックマークされている人に言えることですが、整然とはてなブックマークを使っている人のタグなどを見かけますと、「これはこの人の脳内のきれいな反映だろうな」と感じさせられて驚きます。
HDDは脳の一部ということはときどき言われますが、そうであれば、ファイルにつけられたインデックスは、脳につけられたインデックスということになります。
他人の脳のインデックスが公開されているというのは、考えてみるとすごいことです。思わず「これはすごい」と言いたくなってしまいます。
それが気前よくオープンになっているわけですから、活用しない手はないでしょう。
たとえば「心理学」(「ライフハック」でもいいですが)といったあいまいな概念について、何が「心理学的」であるかは『広辞苑 第六版 (普通版)』を引くよりもタグを辿っていった方が、少なくとも私などにとっては有益です。
大学教授から中学生まで、人が何を持って「心理学的」と考えているかが「見える」からです。
言うまでもなく、人が「心理学的」ととらえている概念と、私が「心理学的」と考えることとの間には、微妙なズレがあります。
この微妙なズレこそが、たとえばブログを書くネタになるわけです。
違和感があれば、違和感の根源を辿ればよく、発見があればそれを書けばよいわけです。
タグとクオリア
ズレといえば、2008-02-06(水)の記事で大橋さんが紹介していた「クオリア」という概念も、脳科学の専門用語で、実は脳科学者の間ですら定義が微妙にずれている用語です。
「クオリア」の説明を最もわかりやすく論じてくれているのは、V・S・ラマチャンドランの『脳のなかの幽霊』だと、私は思います。
若干厳密性を欠くものの、本書の第12章「火星人は赤を見るか?」は、クオリアの説明としては秀逸です。
ここでラマチャンドランは「クオリア3法則」という法則を上げています。
簡単に列挙しますと、
- 1.クオリアは入力情報として変更がきかない
- 2.クオリアは短期記憶の情報として利用できる
- 3.クオリアに対する出力情報には柔軟性がある
決して分かりよい説明ではないと思いますが、これをムリにシンプルにまとめますと、例えば私がリンゴを食べたとき、これを「甘酸っぱい」と感じてしまえば、それについて変更することはできません。
「甘酸っぱいと感じたが、実は苦いと感じたのだ」というのはおかしいです。
この意味で、クオリアの入力情報は変更できません。
クオリアを短期記憶として利用できるのは言うまでもないでしょう。
「甘酸っぱいと感じた」ことを、短期間覚えておくのはもちろん可能です。
最後に「出力情報の柔軟性」ですが、例えば私が「甘酸っぱいと感じた」としても、リンゴの味について問われたとき、「うーん、それほどおいしくない」などと答えることはできます。
味について分析することもできます。
思い出を語ることもできます。
現段階では、コンピュータにはこれが難しい。
だから現段階では、人工知能にはクオリアがないと言えそうです。
コンピュータは、入力情報に対し、決まり切った出力を返すことしかできないからです。
こういった議論をもっと知りたいという方は、たとえばニコラス・ハンフリーの著書などが面白いかと思います。
なぜこの「クオリア」という概念が「タグ」(ラベル)と関係し、またブログやソーシャル・ネットワークと関係してくるかと言えば、あるクオリアを得て、それに対する柔軟な出力を行うということこそ、コミュニケーションの重要な役割だと考えられるからです。
実際私たちは、たとえばおいしいワインを飲み(クオリアを得て)、そのクオリアを他人にも共有してもらおうと思って、言葉を尽くします。
仮にそうしても、自分が得たとおりのクオリアを、他の誰かと共有することは不可能と言っていいでしょうが、誤差の範囲内でクオリアの共有ができたとき人は喜びを分かち合うことができるのですし、そのためにコミュニケーションをとるのだと言えます。
また、そのためにブログを読み、書くのでしょう。