「やる気」というテーマに仕事の「やりがい」というコンセプトは欠かせませんが、私はつい最近発行した『一瞬で「やる気」がでる脳のつくり方』という本の中では、あまり「やりがい」という言葉を使いませんでした。というのも「やりがい」という言葉を使ってしまうと、
・「やりがい」があるからこそ、人は「やる気」が出る
・「やる気」が出るから、その仕事には「やりがい」を感じる
という二つの方向が行き来してしまい、読者の方を混乱させてしまうのではないか、と恐れたからです。
それでも、「やる気」という問題を考え続けていれば、「やりがい」という話は避けられなくなります。先日も、セミナーでそれに関する質問をいただきました。
そういうわけで、そろそろ「やりがい」という問題についてつっこんで考え直してみる時期にきているようです。この機会を借りて、「仕事のやりがい」について簡単に見ていきたいと思います。
私が考える上では、「やる気」に関するメカニズムは本に書いたとおりでして、「やる気」とは有限で貴重なエネルギーであり、私たちの「脳」によって厳格に管理されているものです。
だから、「やる気」というエネルギーを投入する価値があることに、「脳」は「やる気」を出してくれるし、そうでなければ出してくれないのです。
この価値判断の中に「やりがい」というものも含まれます。一般に「脳」が「やる気」を出すぞという気になるには、大前提として「やる気」を出した成果についての「見通し」がはっきりしているということがあります。この前提を満たして上で、「脳」は以下の目的を果たすために「やる気」を放出します。
1 ストレス解消(の見通しがある)
2 承認欲求を満たす(の見通しがある)
3 自己状況改善(の見通しがある)
このなかで、とくに2と3の目的を果たすために「やる気」を出すとき、「やりがい」があると言います。たとえば2で言えば、仕事を立派に成し遂げて、それなりの人から承認してもらえるとき。3は、仕事をすることで、自分に必要な何かが満たされる場合。
1のストレス解消についても、「やりがい」はあるはずなのですが、私たちはそうは感じないようです。締め切りに追いまくられて、何とかしようともがいているとき、「脳」は明らかに「やる気」を出すべき時だと感じていて、実際「ストレスを解消する」という見通しに立って、「やる気」を放出しているのです。
これは「やりがい」のある仕事をするために「やる気」を出すメカニズムと同じなのですが、それでも締め切りに間に合わせることを「やりがいがある」とはあまり言いません。
つまり「やりがい」とは、「脳」が貴重で有限な「やる気」を放出するための、「ストレス解消」以外のもっともな理由、ということになります。