フランクリンの執筆力トレーニング

By: Guðmundur D. HaraldssonCC BY 2.0


『超一流になるのは才能か努力か?』という本を読みました。

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この本では、練習の重要性および、練習内容の重要性が指摘されています。技能を伸ばすにはトレーニングが欠かせないが、トレーニングならなんでもよいわけではなく、負荷が制御されたトレーニングが必要である、といったお話です。

その一例として、ベンジャミン・フランクリンがどのようにその執筆力を鍛えたのが紹介されています。これが、なかなか見事な負荷トレーニングなのです。

その1:再現トレーニング

フランクリンは、イギリスの雑誌『スペクテーター』の文章の質に感銘を受け、それをベンチマークにしてトレーニングを始めました。

最初は、再現トレーニングです。

まず記事中に具体的にどのような言葉が使われていたか忘れてしまった後に、どれだけ正確に文章を再現できるか試してみることにした。

優れた記事を選び、その記事の概要だけを書き留めておきます。そして、数日経ってから、概要を参照しつつ自分で記事を書き起こします。この際のポイントは、

目標は元の記事を一字一句思い出すのではなく、それと同じぐらい詳しく質の高い記事を自分で書くことだ。

という点にあります。暗記力を鍛えているわけではないので、これは当然でしょう。そうして書き上げた記事を、元の記事と照らし合わせながら、必要に応じて修正を加えていきます。

おそらく、そこにはたくさんの発見があったでしょう。「なるほど、状況を詳細に記述するのはこう書けばいいのか」「重要性を伝えるには、こういう形容詞が使えるのか」といった発見です。

同じことを書こうとしているのに、出てくる文章が違っているからこそ、得られる発見がそこにはあります。

その2:改編トレーニング

フランクリンは、上記のトレーニングで、自分の語彙が乏しいことに気がつきました。言葉の意味を知らないのではなく、文章を書いているときに適切な言葉をパッと引き出せず、使い慣れた言葉ばかりを用いてしまうということです。

この問題を克服するため、最初の練習法に少し変化を加えることにした。詩を書くと、韻律を考えたり韻を踏んだりするために普段使わない言葉を考えなければならなくなると考え、『スペクテーター』の記事を韻文に作り替えた。

実に巧妙なトレーニングです。そして、これこそが彼が偉大なる著述家になれた理由でもあるのでしょう。

何かしらのトレーニングを自分に課すことはそれほど難しくありません。それを継続的にこなしていくことも一定の情熱があれば可能でしょう。しかし、同じトレーニングをずっと続けていたとしても、向上できるレベルには限界があります。続けていくうちに自分にとっての負荷が減り、それはもうトレーニングの用を為さなくなってしまうのです。

フランクリンは、第一のトレーニングの結果を分析し、自分に足りない力を見出した上で、それを補うための新しいトレーニング法を考えました。これができるならば、延々と成長の階段を上っていけます。そして、フランクリンは実際そうしたわけです。

その3:構成トレーニング

トレーニングの負荷はさらに上がります。彼は文章の構造と論理展開にも着手しました。

ここでも『スペクテーター』の記事を使い、一文ずつヒントを書いた。ただ今回はヒントをバラバラの紙片に書き、シャッフルして順序がわからないようにした。それから再び、今度は元の記事に使われていた言葉だけでなく話の展開も忘れてしまうまで寝かせて、また記事の再現を試みた。

バラバラの紙片を見て、自分で論理的な展開を組み立てた上で、ヒントをもとに文章を完成させたわけです。当然、その結果を元の記事と比較して、自分の論理展開の弱いところを見つけた上で、文章を修正することも忘れません。

このようなトレーニングを経て、論理展開が整った文章の書き方を彼は身につけていったわけです。

さいごに

『超一流になるのは才能か努力か?』の著者らは次のように書いています。

目的のある練習あるいは限界的練習の最大の特徴は、できないこと、すなわちコンフォート・ゾーンの外側で努力することであり、しかも自分が具体的にどうやっているか、どこが弱点なのか、どうすれば上達できるかに意識を集中しながら何度も何度も練習を繰り返すことだ。

日常生活では、このような意識的な反復練習はまず発生しません。だから、何年続けていても技能は向上しないのです。

ブログなどでも、書き続けてさえいえれば、「文章を書き慣れる」ところまではたどり着けますが、だからといって老舗ブロガーが皆卓越した文章力を持っているわけではないでしょう。どこかの時点で、普通の書き方では負荷がなくなり、記事を書くことがトレーニングにならなくなるからです。

もしそれでいい、というのなら別にそれでも構いません。何かがうまくできないからといって人生の価値が減じることはないのですから、気にしなければいいだけです。

しかし、卓越したいと考えているのであれば、意識的・分析的な反復練習で脳に負荷をかけ続けていくことは必要でしょう。

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▼今週の一冊:

多方面から「人類」についてアクセスした本で、内容を簡単に書くのは難しいのですが、社会の中の絆がいかに構築され・維持されているのか、というお話はたいへん面白く読めました。その視線を、インターネット・SNS時代に当てはめてみると、何か新しいものも見えてくるかもしれません。

» 人類進化の謎を解き明かす


▼編集後記:




この記事が公開されている日には、たぶん東京にいます。でもって、台風も近づいて来ていますね。はたして大丈夫なのだろうか……。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。

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