香山リカ流-32の「ものは言いよう」

カテゴリー: ビジネス心理書評

本書のような本の場合、その有効性は「ものの言いよう」にかかってきます。「ものは言いよう」というわけですが、それが巧みであると感じられれば、「うまいことを言う」というわけで、「そういう考え方もあるか・・・」と何となく納得して、心理的緊張がゆるむ、というわけです。狙いはそこにあるでしょう。


以下にいくつか、本書らしい「心理ハック」を列挙していきますが、いずれも「ものは考えよう」の巧みさで勝負しています。心というのは不思議なもので、アルコール、カフェイン、そして向精神薬などの、「直接関与する物質」を動員しても変わろうとしない頑固さを持つ一方、ちょっとした一言や考え方を変えるだけで、いきなり解放されるということもあるわけです。

困ったときこそ決断を先のばしにする

想像が付くと思いますが、本書の内容はほとんどが、「逆張り」です。ですから「すぐに決めて、すぐ行動する!」というような、書店へ行けばすぐに3冊くらいは見つかりそうな内容は、一つもないわけです。

ただしもちろん、本書のような本がこれまで1冊もなかったかといえば、そんなことはありません。著者自身かなりの書籍をものしています。もちろん「脱力系」は著者の専売特許でもありません。

しかし本書に特徴的なのは、「ちょっとだけマインドハック」的なのです。この「困ったときこそ決断を先に送る」などは、考え方とも言えますが、テクニカルです。著者は精神科医としての経験から、困ったとき、追い詰められたときに出した結論に、ろくなものはないと、考えているようです。

誰でも、追い詰められたときなどに「よし、もう彼女とは別れるしかない」などと決めて、後になってから「どうしてあのとき、あんなバカなことをしてしまったのか」と後悔した経験があると思います。

だから私たち精神科医は、「今日こうしたい」と決意を述べる人には、「まあまあ、少し待ってくださいよ」などといって時間稼ぎをします。

 
ここで「時間稼ぎ」という表現がありますが、時間が経つと、感情は必ず変化するものです。同じ感情を持続的に保つのは、心にとって難しいのです。感情が変わると、判断基準も、理性も、価値観も、大きく変化します。その時もう一度、考え直す。これはたしかに有効な心理技法です。

カラオケができれば会話もできる

歌うより話す方が、ずっと簡単。このことに異議を唱える人は、いないはずです。

これはいかにも「ものは考えよう」というパターンでしょう。「歌うより話す方が簡単ですね。あなたはカラオケで歌えるのですね。それなのに話ができないということはないでしょう」と思い起こしなさいといっているわけです。

「ものは考えよう」の基本的な技法に、「〜ということを思い出しなさい」というやり方があります。私はこれに、どれくらい「実測可能な効果」があるのか、以前から調べてみたいと思っています。調べることはできていませんが。

たとえば、階段を上るとすぐ息切れしてしまうような人に、「でも君は、テニスの時にはあんなに走れているじゃない」などと言うと、階段で息切れしなくなる、というような人が本当にいるのです。私はこれをいつも不思議に思っています。「体力まで思い出せるものだろうか。それはいかにも非科学的な気がする」と思うのです。

しかし、「あのときはあんなことができたじゃないか。なのに今、その程度のことができないなんて、おかしいね」というやり方は多用されているし、効果も上がっているように見えます。

眠れない夜はぜいたくにすごそう

これは、不眠症で悩むような方へ向けての「気を楽にしてもらうアドバイス」でしょう。「ものは考えよう」の中の「開き直り」のパターンです。

もちろん著者は精神科医ですから、「よい眠りのために一番大切なのは、1日24時間のリズムを取り戻すこと」と但し書きを忘れてはいません。これはとても大事なことなのです。しかし、「リズムの中で眠りを考えなくてはならないのに、最近は1日のリズムじたいがめちゃくちゃ」なのが現実ですから、「暗くなっても眠れはしない」という人が増えるのは当然なのです。

その中で「眠ろう眠ろうと考え続けて、結局一晩中起きていた」というのではつらすぎますから、「まずは家でゆっくりたまっていた本を読んだりDVDを見たり、ふだんはできなかったことに時間を費やし、いつもとは違うモードの自分になってみる」ということをすすめているわけです。

この「開き直りの価値観転倒」は、前の「思い出してもらう」のと並んで、「心を解放する」手法の王道と言えます。

このような調子の項目が、全部で32並んでいるのが本書です。気力体力とも充実していて、絶好調を自認しているときには、いかにも生ぬるく見えることでしょう。著者は冒頭の第1ページに、おそらくは洒落っ気から、こんな注意書きを挟んでいます。

ご注意
自分に自信のある人、もっと成長したいと前向きに日々をがんばっている人は、決してお読みにならないでください。

 
しかし、それほどの人であっても、調子が悪くなることはあるものです。たとえ現実的には何の問題も起こらなくても、心理的な「谷」にはまり込むことは、誰にでもあるものです。そういうときにこの本のことが思い出せたら、その人はラッキーだと、言っていい1冊です。


▼編集後記:

Vol.5をもちまして、「シゴタノ!読書塾」はいったん休止となったわけですが、投稿された方の中には、「どうして私のが受賞できなかったのか。選考委員の目は節穴ではないのか」とお思いの方もいらっしゃったかもしれません。

もちろん選考委員にも「好み」がありますし、本の選出、応募規定との兼ね合いなどいろいろな受賞要因があるわけですが、一つ、次のような点について考えてみてください。

「なぜ、その本を読まなくてはならないのか?」

これはネガティブな問いですが、モーツアルトが大好きな人ですら、モーツアルトの全作品の全レーベルを一生の内に聞ききるのは、けっこう困難です。ジャンルを問わなければ、本は、一生の内にすべての本を読み切るのはムリです。したがって、ある本を読むということは、実は相応のリスクを冒すことになります。

世知辛いことをいっているようですが、そういうリスクはなるべくとりたくない、との思いは、けっこう心の奥底にたまっているような気がします。だから本は「つんどく」になりやすい。これは読書家でも学者でも同じ事。だからこそ、その「学者」から次のような本が出されるのです。

読んでいない本について堂々と語る方法
大浦 康介

おすすめ平均
独り占めしたかった名著
意外とロジカルでアカデミック
読まないで本を語ってもよいが
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それでもある本を推薦し、「この本は読むに値する!」と言うのであれば、その「理由」こそが大事です。理由が納得のいくものであれば、ただ1段落書いてあるだけでも、書評エントリを読んでよかったと、私ならば思います。


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