記憶は脳の中にいるもう一人の自分。
記録に残すことでそれを重要なものだと記憶に学習してもらうことができます。
記録は記憶のエサのようなもの
記録をせずに「これは大事なことだから忘れないだろう」などとうつつを抜かしていると記憶も一緒にうつつを抜かし、何が重要なのかを自分で判断するすべを失ってしまいます。
記録は記憶のアイキャッチ画像のようなもので、思い出すときの手がかりになるのです。
あるいは、記録は記憶のエサのようなものともいえます。自分にとって大事だと思うことを記憶にせっせと与え続けることによって、記憶はどんどんシャープな感性を身にまとっていくからです。
何かを見聞きしたときに、「これは記録して活用したい」と思わせるのは記録を与えることで育て上げた記憶の差し金といえるでしょう。
ゆえに、記録をすればするほどうまくいく、ということになります。
食べることに意識的になれば、無意識のうちに食べていたようなものは、食べなくなっていきます。
それは食べても食べなくてもよかったようなものだからです。(p.102)
関連エントリー:
日々目にする、耳にする情報、面白かったことなどは、まずは第一ステップとして二軍ノートに記録しておくのです。
そして、その中からこれは面白い、興味深いと思ったものをあとでセレクトし、一軍ノートにデビューさせるのです。
人が何かを記憶し、後からこれを呼び出して活用できるのは、読んだり書いたりといった言葉にまみれた“ザラザラ”な毎日があるからでしょう。
ザラザラしているからこそ、それを足がかりにして、足を滑らすことなく次の一歩を踏み出せるのですし、それを手がかりにして振り返ることができるのでしょう。
この睡眠という「断絶」を乗り越える方法は1つしかありません。
それは断絶の前に記録し(SAVE)、翌朝にこれをふり返る(LOAD)ことです。記録とはつまり「ぼうけんのしょ」というわけです。あるいは、会社における引き継ぎマニュアルといってもいいかもしれません。
引き継ぎは人から人へと行われるものですが、昨日の自分と今日の自分との間でも必要なプロセスなのです。
過去の記録を把握し、これを未来に投影すれば、そこに現れる影が計画になる、というわけです。ここに経験と勘を加味することで、計画の実現性は高まります。
とはいえ、経験と勘は計画の実現性を高めはするものの、計画の材料にはなりません。材料はあくまでもソリッドな記録であり、これがなければ経験と勘というフレーバーは役に立ちません。
昔、スカリー・ブロトニックは、1500人の被験者を使ってある研究を実施しました。研究の参加者はふたつのグループに分けられました。グループAは、まずお金を儲けてから自分の好きなことをやりたいという人々で、人数は1245名でした。
後の255名のグループBは、まず自分の興味のあることを追求していれば、お金は後でついてくる、と考えていた人々です
結果はどうなったでしょう?
20年後、グループ全体から101人の億万長者が生まれましたが、グループAからはひとりだけで、残りの100人は、情熱を追い求めればお金は後からついてくると考えていた、グループBの人々でした。
ここにはお金を引き寄せる、もうひとつの鍵が隠されています。