前編、中編に続き、後編(最終回)です。
▼中編:記録をとることで、締め切りに遅れずに仕事を終えられるようになる理由
本書は「記録が何の役に立つのか?」という問いに対して、
- A.締め切りに遅れずに仕事を終えられるようになる
と答えます。
そのうえで、
- B.なぜ記録が「締め切りに遅れずに仕事を終えられるようになる」うえで役に立つのか?
- C.取った記録を仕事に役立てるにはどうすればいいか?
という当然の疑問にもきちんと回答を用意しています。
個人的には、
- D.記録は多くの人が知らぬ間に抱いている時間に対する幻想から解放してくれる
という点が重要であり、なかなか伝わらないポイントだと改めて実感しました。
今回は、最後に残った以下についてまとめます。
- D.記録は多くの人が知らぬ間に抱いている時間に対する幻想から解放してくれる
D.記録は多くの人が知らぬ間に抱いている時間に対する幻想から解放してくれる
準備をすればうまくいくという幻想
佐々木さんは「99%、セミナーの当日にスライドを作り始めるので、いつどのように作るかというのは当日になるまでいっさい考えない」と言います。
すかさず、ごりゅごさんは、
- いやいやいや、それは場数をたくさん踏んでいるからでしょ?
- 記録を取り続けて上達したからそういうことができるようになったんでしょ?
というツッコミを入れますが、「そういうことになるんですけど、本当は最初からそうした方がよかった」と平然と返す佐々木さん。
さらに以下のような持論を展開します。
- 何度もやったから慣れているというのはただ緊張のレベルが下がったという話にすぎない
- 話を考えつくかどうかは当時だろうと今だろうと違いはないはず
つまり、アガるか否かの違いしかない、というわけです。
この「アガる」というフレーズを目にしたとき、ふと以下のくだりを思い出しました( ← 記事を書いている=思考を記録しているからこそ思い出せるのだと思います)。
「書くからには賞賛されるに値する内容にしなければならない」という幻想に囚われるからこそ、それができなかったときには「不安が連鎖する袋小路」に一直線に飲み込まれるという、これまた幻想にすっぽり包み込まれてしまうわけです。
結婚式のスピーチでアガってしまってうまく話せないようなときにも、同じことが起こっています。
ブログを書くときに「こんなことを書いてもいいのか?」と悩むときにも、同じことが起こっています。
セミナーであれ、結婚式のスピーチであれ、ブログであれ、どれだけ場数を踏もうと、「賞賛される内容にしなければならない」というパワフルではあるけれども具体性に乏しい達成要件がある限り、足はすくんでしまいます。
準備をしなくてもうまくいく方法
もし本当に「賞賛されること」が必要なのであれば、現実に賞賛してくれるのは当日のセミナー参加者なので、当日の参加者に「何を話せば賞賛してくれますか?」と確認するのがもっとも手っ取り早くかつリスクの少ないやり方になるでしょう。
実際には「何に困っていますか?」といった問いかけをすることになるはずです。
ここで、
- 自分に答えられない困りごとだったらどうしよう?
- 答えられなかったら信用を失うんじゃないか?
- お金を返せ、というクレームになるんじゃないか?
といった不安を抱くと(=幻想に囚われると)、アガることになります。
結果、本来の実力が発揮しづらくなるため、上記の不安がそのまま現実化してしまう。
「何を尋ねられても完璧に答えられるようにしよう」という準備ができれば最高なのですが、この「タスク」は終わりが定義できないので、取りかかるのが極めて困難なものになるでしょう。
「セミナー準備」というタスク名だったとして、これを目にするたびに「あ~、あのエンドレスなやつか…」というイメージが脳裏をよぎり「ま、とりあえず明日やるか」と先送り。
多くの場合、セミナー前日までこの先送りはくり返されることになります。
先送りの決断を迫られるたびにもれなく「自己嫌悪」もセットでついてくるので、自己評価はどんどん下がっていきます。
ここから抜け出す方法は1つだけ。
- 当日まで準備をしない
です。
代わりに、当日、参加者からの質問にその場で答えることに徹する。
こうすることで、参加者は「自分のリクエストにバッチリ応えてもらえた!」ということで満足することになります。
とにかく、
- 準備をせずに好評価!
という、準備をしない「ありのままの自分」が承認されることになり、自分で自分にOKが出せるようになります。「ありのままの自分」のレベルがアップしていきます。
一方、準備をすると、準備をしたことを話すことが目的になりやすく、その準備内容が当日の参加者の期待とズレていると、
- 準備をしたのに低評価…
という往復ビンタを食らうことになり、立ち直れなくなります。
つまり、準備をすればうまくいくというのは幻想なのです。
ただし、決められた通りの内容を決められた通りに話すことが期待されている場合には準備をしないと失敗します。
正しいやり方を手に入れればうまくいくという幻想
「準備をしなくてもうまくいく」と言われてもにわかには受け入れがたいかもしれません。
額面通り受け入れて、いっさい準備をせずに臨んで「わ、ホントだ! うまくいった!」となることは実はまれで、「やっぱり準備をしないとうまくいかないのかなぁ…」と、悩むことが多いでしょう。
先ほどの例はセミナーという分かりやすいものでしたが、実際の仕事は複雑です。
ありのままの自分が受け入れられることは少ない。
そこで必要になるのが記録です。
このあたりについて佐々木さんは以下のように言っています。
料理が上手な人は料理を記憶できた人のはずなんです。泳げる人は泳ぎ方を記憶できた人だし、より速く泳げる人はより細かい記憶ができた人です。身体の記憶がより詳細になっている。そのためにアスリートはみんな記録を残します。
それと同じことをやればいいと思います。
とはいえ、記録の対象は自分の行動だけではありません。
やはりスケッチをしていると細かい特徴までデザインに活かすことができるようになりました。一回やるだけでも随分とモチーフの解像度が上がって魅力的になったのでとても効率的に感じます。また見て知っていたり、ただ考えているだけでは絵にあまり反映されないことも身をもって経験しました。
簡単にいえば、スケッチをしたら上手く描けるようになった、という話です。
これを応用するなら、すでにうまくいっている人の仕事のやり方を「スケッチ」する、すなわち記録することです。
「準備をしなくてもうまくいっている人」がいるなら、いきなり我流で同じことをやるのではなく、まずその人のやり方をスケッチする。
「うまくいかない」のは「うまくいく」のイメージがない、あるいはそのイメージが間違っているからという可能性が高いと思うからです。
時間に対して抱いているイメージはだいたい幻想
今回は「幻想」というキーワードで書いてきましたが、本書には「幻想」という言葉はいっさい出てきません。
それでも、読み進める中で「多くの人がいかに時間について幻想に囚われているか」という裏テーマがあるように感じていました。
この幻想を払拭することが最初の一歩。
そのためのツールが「記録」ということになります。
以下の記事で「オール・ユー・ニード・イズ・キル」という映画を取り上げました( ← 記事を書いている=思考を記録しているからこそ思い出せるのだと思います、2回目)。
ひとことで言うと、同じ一日が繰り返しやってくる物語。
ただし、「同じである」と認識できるのは主人公だけで、それ以外の人々は「新しい一日」として過ごしています。
「同じである」と認識できるということは、記憶が引き継がれている、ということです。
初日は主人公にとっても「新しい一日」なのですが、“翌日”以降は、“前日”の繰り返しになるため、何がいつ起こるのか、誰によって引き起こされるのかが事前にわかるようになります。
同じ一日がくり返されるという特殊な状況ゆえに、主人公は死にまくりつつも、劇的なスピードで成長していきます。
現実には同じ出来事はくり返しは起こらないため、多くの人は「新しい一日」を生きていると思っています。
でも、記録をとっていくと、すべてではないにしろ大半の出来事はくり返し起こっていることに気づきます。
これに気づけば、先手を打てることになり、仕事も生活も今よりずっとラクに運べるようになるはずです。
参考文献
関連記事
» 前編:記録をとることで、締め切りに遅れずに仕事を終えられるようになる理由
» 後編:本記事