書き方や書くツールはどんどん変化してはいますが、とにかく書き続けています(まもなく30年)。
改めて、
- なぜ日記を書きつづけているのだろう?
- 惰性で書いているだけ?
- 何かメリットがある?
- 人におすすめできる?
といった疑問が次々湧いてきて、というより、書き続ける中で常にこれらの疑問が頭の片隅でくすぶり続けていて、いつか解消できたらいいなと思っていました。
胸を張って「だから、あなたも日記を書きましょう!」と言えるようになりたいからです。
そう言える日が不意にやってきました。
今日です。
これまでの日記の歴史
最初は紙のノート(B5サイズの大学ノート)に書き付けていましたが、1994年6月にパソコン(Windows3.1搭載のDOS/V互換機!)を購入したのを機に、デジタル日記に移行。
そこから、テキストファイル(秀丸エディタ)で月ごとにファイルを分けて毎日入力。
1998年8月にTaskChuteを開発してからは、デイリーログ出力機能で引き続き同じファイル形式で日記を継続。TaskChute上でタスクの実行記録(タスク名と開始・終了時刻)と別途入力した「タスク実行後のコメント」を一日分マージしたものがその日の日記となります。
2008年7月にEvernoteを使い始めてからは、TaskChuteを使っているとき以外でも思いついたときにPCやiPhoneで書いたことが時系列にEvernoteに保存できるように。従来のテキストファイル(文字のみ)に加えて、Evernoteのノート(画像や写真も扱える)も含めた全体を「日記」と呼ぶことになりました(日記の持ち株会社化)。
2013年8月にたすくま(TaskChuteのiPhone版)を使い始めてからは、たすくまのデイリーログをEvernoteに送信する機能を使って、TaskChute同様にタスクの実行ログと別途入力した「タスク実行後のコメント」および添付した画像をEvernoteに保存するようになりました。
- TaskChute → テキストファイル
- 思いつき → Evernote
- たすくま → Evernote
日記を始めた当初からすると、メディアとしてはリッチにはなりましたが、複雑さが増し、日記がテキストファイルとEvernoteに分れてしまい、改めて「そもそも日記って何だろう?」というテーマが僕の中で沸騰し続けていました。
『日記マニュアル。』でスッキリ
そんな折、ゆうびんやさんのPodcastで『日記マニュアル。』を知りました(書籍ではなく別の方のPodcastエピソードです)。
ゆうびんやさんは、自己紹介において「好きなものは日記、読書、家族との時間」と、何よりも家族よりもまず「日記」を最初に持って来てしまうくらいの日記好きで、『日記のすすめ』の著者でもあります。
そんなゆうびんやさんがご自身のPodcast(#76)の中で「便所のつぶやき」というPodcast(お笑い芸人のダムダムおじさん二村さんとホイップ坊やさんの番組)の以下のエピソードを紹介していました。
さっそく聴いてみて、「これだ!」と思いました。
※現在は削除済みの過去エピソードです。
期間限定で再配信いたします。今回のオープニングは「フェラーリ」の話。
ホイップ坊やが最近得た、フェラーリにまつわる豆知識。
「へぇ~」と思う方も多いと思われますが、
ひょんなことから話は違う方向に・・・本編は『日記マニュアル。』
環境が変わり、日記を始めようと考えている二村が、
ミスター日記スト・ホイップ坊やから
「日記の書き方」を教わります。以前に番組で紹介したホイップダイアリーが
なぜあのような内容になったのか?
その理由が明らかに!
『日記マニュアル。』の概要
このエピソードの内容をざっくり箇条書きでまとめてみました(ざっくりのつもりがぎっしりになってしまいました…)。
ダムダムおじさん二村さんもホイップ坊やさんも存じ上げない方なのですが、日記歴10年のホイップ坊やさんには共感することやまやまでした。
日記を書いたほうがいい人と書かないほうがいい人がいる
- 日記歴10年(19歳から29歳まで)のホイップ坊やさんが日記の書き方をアドバイス
- 日記を書いたほうがいい人と書かないほうがいい人がいる
- 書いたほうがいいのは適度に忙しい人
- 書かないほうがいいのはヒマな人
日記は、事実2割:感想8割
- 日記は事実だけを書いても面白くないので続かない
- 日記というと何時に起きて何を食べて何をした、という出来事を時系列に書きがち
- こういう日記はあとで読み返しても面白くない
- 読み返しても面白くない日記を書く=無意味な作業をすることになるので絶対やめたほうがいい
- 自分が何を思ったのか、どう感じたのかを書く
- 主観的な感想
- 偏見
- 誰かに対する怒り
- すごくうれしかったこと
- あったこと(事実)を書くのではなく、そのときに自分がどう思ったのかを書く
- その方が後で読み返したときに絶対に面白い
- (感想を書くうえで)ある程度事実は書く必要があるが、それは全体の2割程度でOK、8割は感想
日記の「人に見せなくてもいい」という利点を最大限に活かす
- 日記の利点は人に見せなくてもいいこと
- (人に見られたら)小っ恥ずかしいこと
- 自分の理想
- 自分の考え方
- 自分の価値観
- 自分にとって腹立たしいこと
- 全部書いてOK
- 書いているうちに自分の心の整理整頓が進む
- 適度に忙しい人が日記を書いたほうがいい理由
- その日その日の仕事に追われて、ハートのメンテナンスを怠りがちだから
- たとえば、忙しさのあまりイライラしていたとしてもその原因をつかめない
- 日記を書くことを通して、このイライラの原因を見つけ出すことができる
- 日記は自分の内面を見つめる重要な作業
- だからこそ8割は自分が思ったことを書いたほうがいい
日記を読み返す効用
- 日記を読み返す効用
- 今でこそ事もなげにできていることでも、1年前の日記を読み返すことで当時は苦労していたとわかれば成長を実感できる
- 日記を見返すタイミングは?
- 好きなときでOK
- たとえば、いい文章が書けたなと思った日はさっそく翌日に読み返す(自己満足でもOK)
- 日記は人に見せないものなので、人に言えないことも書いていい
- 一日全体で何があったかをとらえようとするよりも、(何か1つについて)焦点を絞ってどう思ったかを克明に記録しておくと、後で読んだときに面白い
ヒマな人が日記を書かないほうがいい理由
- ヒマな人が日記を書かないほうがいい理由
- 日記を書こうとしても、特に何もやってないので過去をほじくり返し始める
- 過去をほじくり返して、いい思い出を思い出す人はまずいない
- 取り返しの付かない失敗や後悔していることなど嫌な思い出を思い出してしまう
- 結果、日記にネガティブなことばかりを書くことになる
- 自分の心の内面の黒いところを自分でのぞき込んで自分で吸い込まれていく…
- どこで自分は人生を間違えたのか…
- いかに自分がダメか…
- 精神的な自傷行為に走ってしまう
日記を書くタイミングは?
- 日記を書くタイミングは?
- 特にこだわらなくてもOK
- 必ずしも毎日書かなくてもよい
- 自分にルールを課しすぎると辛くなってやめてしまうので
まとめ
- 自分の立ち位置を確認できるのが日記のいいところ
- とにかく自分のために書く
- 人に見せることを意識したとたんに筆先が鈍る
ぜひ実際のPodcastの音声も聴いてみてください。その方がスッと入ると思いますので。
▼「期間限定再配信」とのことなので聴けるうちに。
【再配信】第229回『日記マニュアル。』
日記が「面白い」とはどういうことか?
上記のエピソードの中でたびたび「面白い」という言葉が出てきます。
「えっ、読み返したときに面白いと感じるためだけに日記書くの?」
と怪訝な顔をする方がいるかもしれません。
30年近く日記を書いている、すなわち「人に見せない前提で文章を書くことを通じて心の整理整頓をしている」( ← 今回のエピソードを聴いて「確かにそうだ!」と合点がいきました)僕にとっては、ホイップ坊やさんの「面白い」という言葉だけで、「ですよね~」と十分に伝わりました。
会社員時代の超絶忙しい時期(月の稼動時間が300時間超え)も日記を書いていましたし。
» どんなに忙しくても睡眠時間を削ってでも家計簿と日記をやめなかった理由
日記は原則として自分しか見ないので、「こんなこと書いたら怒られるかも」とか「炎上したらどうしよう」という心配はいっさい無用。
日記は、慣れないうちは「ヨソ行き」な文体、すなわち普段メールや報告書を書くときの文体でしか書けないものです。
それが書き続けるうちに「自分しか読まないんだから、もっとぶっちゃけても大丈夫だ」ということに気づき、ありのままの気持ちを乗せられるようになります。
そして、そのように書いた日記を数年後に読み返すと、これが、実に、面白い…。
他ならぬ自分が書いた文章なので当然なのですが、これまでのすべての出来事をもれなく一緒に体験し、その過程で生成されたさまざまな前提や文脈をまるまる共有しているわけですから、何を言っても全部打ち返してくれる。
「あるある」だらけで、そこに可笑しみが生じるのは必然というか不可避。
もはやこの「過去の自分」以上に打てば響く相手は存在しないのですから、そんな相手の書いた文章を介しての時空を超えた非同期テキストチャットが盛り上がらないほうがおかしい。
まぁ、厳密には相手の書いた文章を読んで、こちらは一方通行な反応をするだけですが…。
で、この「面白い」にはメリットがあるのです。
「似た構造」を発見すると非常にうれしい
「面白い」「面白い」と書いてきましたが、個人的には「うれしい」に近いです。
誰かと「あるある」で盛り上がっているときというのはゲラゲラ笑って面白いわけですが、その根底には「分かってくれる人がいて、うれしい…」というしみじみとした感情があると思うのです。
なぜ「うれしい」と感じるかというと「いちいち前提をイチから説明しなくても済む」からです。
僕が感じているのではなく、僕の脳が「ウェーイ(。ノ・ω・)ノ 余計な仕事しなくて済んだわ~」とうれしがっている。
脳は常にラクをしたいようです。
これはまさに15年前に書いた以下の記事で言うところの「似た構造を発見する能力」に通じます。
ちょっと古い記事ですが、日経ビジネスアソシエ(1月18日号)に掲載されていた養老孟司さんと南伸坊さんの対談記事にそのヒントが読み取れました。
南 面白がるってことって、学習能力のムダ使いっていうか、
そもそも学習することっていうのが人間にとって快感につながっている。
そういうふうにプログラムされているんじゃないか?と思うんです。
似ていることが面白いっていうのは、その学習能力の基本っていうか、
最も原始的な学習なんじゃないか、すべての判断力の基本に
似てるか似てないか問題ってのがあって、
だからそれを楽しむようにできてるんじゃないかと思うんです。
養老 認識能力の基本の一つに、似た構造を発見する能力があります。
似た構造を発見すると非常にうれしい。
なぜかというと、脳のエネルギーを節約できるから。
全く違うものでも同じだと言えるのなら、非常に楽じゃないですか。
その「同じ」を今度は自分自身に当てはめちゃったのが自己ですね。
皆さん、私は常に私で同じだと思っているでしょうけれど、
物質的に言ったら、絶対そうなり得ない。
我々をつくってる分子というのは、
10年経ったらほぼ完璧に入れ替わっちゃう。
それは物質的には別なものでしょう、つまり、我々はシステムなんです。この「似た構造を発見する能力」とか「発見すると非常にうれしい」というメカニズムが人に備わっているのはとても興味深いですね。
日記の本を出版しました!
2020年12月29日追記。
ゆうびんやさんと共著で『大橋さん、日記の楽しみ方を教えてください』というKindle本を出版しました。
ゆうびんやさんは、自己紹介において「好きなものは日記、読書、家族との時間」と、何よりも家族よりもまず「日記」を最初に持って来てしまうくらいの日記好きで、『日記のすすめ』の著者でもあります。
関連記事
» 日記を読み返すと過去の自分と一体化できる。その効用とは?