一生続けられるプロジェクトへの道



本田健さんの『40代にしておきたい17のこと』という本を読みました。

すでに44歳、間もなく45歳を迎えようとしていますが、いろいろと刺さるメッセージがありましたが、とりわけ心に響いたのは以下の一文です。

あなたはあと何年、いまのような生活が続けられると思いますか?

そういえば、昨年10月に会食させていただいた、50歳の女性経営者の方から「大橋さん、今の仕事いつまで続けるか、決めてる?」と尋ねられたのを思い出します。

尋ねられて初めて「決めてない…」ということに気づかされました。

その場ですぐに考え、「現在進行中いくつかのプロジェクトはいずれ辞めることになるであろうけれども、このプロジェクトだけは生きている限りは続けたい」と答えました。

そのプロジェクトについては、これまでにも「何があってもこのプロジェクトだけは続けたい、このプロジェクトは等身大の今の自分を映す鏡のようなものだから」という自己評価を下してきたものでした。

はっきりと言語化したり、どこかに書き留めたりということはまではしていませんでしたが、ほかのプロジェクトとは別格という認識はありました。



一生続けられるプロジェクトへの道

とはいえ、そのプロジェクトが本当に僕にとっての最終プロジェクトになるのかは未だ分かりません。

それでも少なくとも現時点ではそのプロジェクトが僕にとっての最終プロジェクトであり、一生続けたいと思えるものです。

振り返ってみると、このプロジェクトに行き着くことができたのは、それまでに取り組んできたプロジェクトがあったからこそ、と言えます。

わらしべ長者のごとく、最初は何の変哲も無いワラから始まって、少しずつアップグレードを重ねつつ、ときにはハズレを引いたり、あるいはワラに逆戻りしそうになったりしながら、「もしかして、これかも?」というプロジェクトとのすれ違いを重ねつつ、気づいたら「これだ!」という最終プロジェクトに辿りつく。

もちろん「最終」と思っていても、まだ「その先」があることもあるでしょう。

そもそも、「最終」と思えるプロジェクトに取り組めている今というのは、それまでに取り組んできた数多のプロジェクトのどれか1つでも欠けていたとしたら、実現しなかったものなのかもしれません。

そうであるならば、何歳であろうと今取り組んでいるプロジェクトは例外なく「最終」に通じる路線上に位置しているはずです。

実際に振り返ってみても、「今だったら絶対にやらないのに!」という“痛い”プロジェクトもありましたが、そこで得られた、そこでしか得られなかった“通行手形”があったからこそ、その先に進むことができた、という実感はあります。

「痛い」と感じたからこそ、どこなら「痛くない」のか、さらには「気持ちいい」のかが分かります。

「痛い目に遭いたくないから」という理由で「痛み」を避けていると、自分にとって何が「気持ちいい」のかも分からないままに虚ろにさまようことになるかもしれません。

まぁ、あえて「痛い目」に遭いに行く必要はないと思いますが、期せずして「痛い目」に遭ったのなら、しっかり記録に残して、記憶領域をクリアにしたうえで次に進む。

こうして最初は白地図だった攻略マップがいつしか自分をガイドしてくれるナビゲーターになってくれるはずです。

「自分が誰か」を知る

もう1つ、『40代にしておきたい17のこと』で刺さった言葉があります。

人生を上手に生きるうえで大事なのは、「自分が誰か」を知ることです。なぜなら、「自分が誰か」を理解しなければ、自分以外の人の人生を生きてしまうことになるからです。

具体例として、両親、社会、会社、パートナーの望む生き方を知らず知らずのうちに優先してしまう、と書かれていました。

気づかないうちに他人の人生を生きてしまっているかもしれない、わけです。

では、どうすれば「自分が誰か」を理解できるのか?

本田健さんは「人生の棚卸しをする」ことをすすめています。つまりは、人生レビューです。

とりわけ面白いと感じたのが、「20代の頃、やりたかったことは何ですか?」という問いに向き合うこと。

幸いにして、僕は日記を続けていますし、日記の中に「これからやりたいこと」についても断片的ではありますが記載しています。


当時やりたいと思ったことのほとんどはすでに興味を失ったり、年齢的に困難になっているものもありますが、すでに実現しているものもあります。

そして、今もって「やりたい!」と思えるものも含まれています。

たとえば、僕は絵を描くことが好きで、中学卒業までは「けっこういけるんじゃないか?」と調子に乗っていたのですが、高校進学と同時に──ありがちな話ですが──「ものすごくいけている」人たちが現れて、このプロジェクトは凍結せざるを得なくなりました。

でも、ブログを書くようになって、「文章で説明するよりも絵を描いたほうが早いうえに、伝わりやすいんじゃないか?」と感じることが増え、ときどき描くようになりました。

やはり、楽しいです。イメージ通りに描けたときは本当にうれしいですし、恥ずかしながら描いた絵を何度も眺めてニヤニヤしたりするくらいです。

今さら絵を描くことを「最終プロジェクト」にはできませんが、「最終プロジェクト」の攻略に必要な武器として持っておくことはできます。

むしろ、「文章が書ける」×「絵が描ける」という掛け合わせが増えるので、「自分が誰か」の純度が上がっていきます。

「記録が得意」×「文章が書ける」×「絵が描ける」×「社交ダンスが踊れる」という具合に、どんどん掛け合わせを積み上げていくわけです。



ここで大事なことは、「これを掛け合わせたほうが有利だから」という基準で選ばないことです。

そうではなく「これを掛け合わせたほうが楽しいから」という基準を持つことで、無理なく純度を上げていくことができます。

このあたりは以下の記事で書いた「あるがまま」戦略に通じます。

今の自分の「あるがまま」を出してみたときに、全員に嫌われる…まで行かずとも、誰一人として興味を示してもらえないことはないと思うのです。

「あぁ、やっぱり同じことを考えている人がほかにもいたんだ!」とか「まさに、あなたのような人を探していたのです」という出会いがあるかもしれません。

そんな出会いに恵まれる確率は極めて低いかもしれません。でも、「難しい資格」を巡って競争率の激しい中で勝ち抜く確率と、さほど変わらないのではないか、と思うのです。

少なくとも、「あるがまま」でいられるぶんだけ分があります。


「自分にとって必要なものがわかっている人には、迷いがありません」

ふと気づけば、2000年3月に会社員をやめてから間もなく20年。

未だに「こんなことをして、変な人と思われたらどうしよう」という不安に足がすくむことが多々ありますが、とっくに変な人と思われているところはあると思うので、「自分は変である」も掛け合わせに加えて前に進もうと思います。

「変である」とは「人と違う」ということですから。

そういえば、『40代にしておきたい17のこと』に以下のようなくだりがありましたので、最後にご紹介します。

あなたの人生で、絶対に必要なものは何ですか。
お金でしょうか。家族でしょうか。
仕事でしょうか。趣味の世界だという人もいるでしょう。
それは人それぞれで、正解はありません。
どれも正解だといえるでしょう。
自分にとって必要なものがわかっている人には、迷いがありません。
迷いがなければ、後悔がありません。
後悔のない人生を生きられるとしたら、それはすばらしいことです。

参考文献:

10代、20代、30代、40代、50代、と抜け目なくラインナップされているシリーズですので、ご自身の年代に合わせて読んでみてください。どの年代にも刺さるように書き分けられる本田健さんとはいったい何者なのか…。



40代つながりで以下の本も40代の方にはおすすめです。



関連記事


▼「自分の事業を育てるために」の新着エントリー

» 「自分の事業を育てるために」の記事一覧
スポンサー リンク