BT015:非の打ち所のない完璧な文章は一生書けない

カテゴリー: 届ける技術
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アウトプットというと、妙に身構えてしまう人が多いように思います。

「人様に読んでいただくのだから」という気負いが大きすぎて、書く前からプレッシャーに負けてしまうのです。

気持ちはわかります。

「たくさんの人に読んで欲しい」と思う反面、「こんな文章では恥ずかしい」という相反する思いが交錯して、フリーズしてしまう。

僕自身も、ブログを始めた頃は同じ心境でした。

「恥ずかしい」という気持ちをもう少し分析すると、自分では気づかないような、ツッコミどころやアラを指摘されたら、もっと言えば、非難されたらイヤだな、という不安に行き着きます。

この不安が消えないうちは、すなわち非の打ち所のない完璧な文章を書き上げるまではアップできない、ということになります。

そうこうするうちに、いつしかブログが続かなくなってしまう。

もったいないです。

考え方をスイッチしましょう。


どんなブログでも最初の読者は自分一人。自分だけが満足できればいいのです。逆に自分が満足できなければ続くはずがありません。

このあたりについては、シゴタノ!にも寄稿くださっている五藤隆介さんの「だいたい言いたいだけ」という一言がすべてを物語っています。

以下、だいたい言いたいだけのエントリー。

シゴタノ!アウトプットできないとお悩みの方に送る、たった一つのだいたいな方法 
シゴタノ!ブログはだいたい言いたいだけでいいんじゃないかと心の底から思ったりした 
シゴタノ!「だいたい言いたいだけ」の「だいたい」って所がちょー大事 

「言いたい」ということは、そこに「伝えたい」という欲求があるわけで、必ず何らかの発端があるはずです。

例えば、街で見かけたカフェが「すごくいい感じ」だったのなら、それが発端となって「何とかこのカフェの感じの良さを伝えたい!」という感情が生まれているはずです。

であればシンプルに「今日見つけたカフェがいい感じだった」という一行を書くだけで十分です。

必要なら、そのカフェの写真を載せれば良いですし、写真を撮っていなければ、そのカフェのサイト、あるいは「食べログ」や「ぐるなび」の該当ページにリンクを張ればいいでしょう。

そのカフェがどこにあって、どんな会社が運営していて、出しているメニューや営業時間などを事細かに調べて、もう自分が書いたこの記事だけ読めばすべて事足りる、というくらいのクオリティを目指すと、必ず失敗します。

あれこれ書きすぎると、長文になって逆に読んでもらえなくなりますし、書き手にとっても長文になると推敲が大変で、続きません。

とにかく伝えたいこと(=言いたいこと)が書けたらそこでアップしてしまいましょう。

これを繰り返していくうちに、「そもそも自分は何を伝えたいのか?」が浮かび上がってきます。

このあたりはスティーブ・ジョブズの「点と点を繋げる話」につながります。

» 思考や行動の“跡”をつけておく効用 

もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。

もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。

だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ見えることもないわけで、そこなんだよね。

頭の中で完璧なものができあがるのを待っていたら、それを見つける前に寿命が尽きてしまうでしょう。

頭に思い浮かんだものからどんどん出していくことで、少しずつ完璧なものににじり寄っていくことができるのです。

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