偶然を積み上げていく生き方



『偶キャリ。』という本を読みました。

この本の冒頭には以下のようなくだりがあります。

「何をやりたいか」、「何はやりたくないか」は、実際にその「何か」と出会ってみて初めてわかるところがある。「“良いキャリア”とは何か」を考える前に、とりあえずキャリアの一歩を踏み出すこと──。

自己分析や自分のスキルの棚卸しばかりしていても、肝心のキャリアはスタートしない。そうした現在のキャリアプランニングの考え方や既存のキャリア理論に対して疑問を感じたことも、本書を書くきっかけの1つである。

僕自身のこれまでを振り返ってみると、常に行き当たりばったりの選択を繰り返してきています。少し長くなりますが、書き出してみると、

就職から現在まで

最初の4年間の正社員時代より後は、その場その場の出会いや関心に基づいて行動していたことがわかります。そして、その岐路にはたまたま知り合った人が重要な役割を果たしていたりもします。

このような「キャリア」は新卒で会社に入った当時は想像もつかなかったことでしたし、予測も計画もできない道のりであり、何がどのように影響するのかもわからない道のりです(僕に限らず多くの人にも当てはまるとは思いますが)。

でも、わからないことはむしろ都合の良いことだと思っています。あらかじめわかってしまったら、それに備えて心の準備をしてしまうために、たまたま目の前を通りかかった「チャンス」を予定外のものとして排除してしまうかもしれないからです(「これは自分には関係ない」などと)。

映画を観るときに事前知識なしに観た方が楽しめることに似ているでしょう。

『偶キャリ。』では、これを「本能」という言葉で解説しています。

しかし、よく考えてみると、「直感」や「ピンとくるもの」は人間の本能である。危険を察知したり、気配を感じたりする能力は、まさに動物にとって生存のために必要なもの。であれば、その逆のこと──成長につながるチャンス、素晴らしい人との出会いなどの「偶然」──が起こる前にその気配を感じて、それが確実に起こるような働きかけや行動を本能的に取るということも、生きていくために必要なのではないか。そうすることによって、「偶然」は必ず起こる「必然」となる。

計画があればうまくいく、わけではない

この「危険を察知したり、気配を感じたりする能力」を発揮している事例が、最近読んだ、ペーパーボーイ&コー社長・家入一真氏の『こんな僕でも社長になれた』にありました。家入社長が起業するきっかけも、やはり予期せぬところからやってきたものでした。

彼女の妊娠が判明して以来、僕は真剣に考えた。彼女や、生まれてくる子供との時間を犠牲にすることなく、十分に食べていけるだけのお金を稼ぐ、そんな方法はないだろうか。

考えに、考えた結果、思いついたのがこのレンタルサーバー業だった。第一にこれなら家で仕事ができる。僕がそれまでに培ってきたプログラムの技術だって、活かすことができる。ましてやあの片岡さんだってホームページを持つ時代、需要なら確実にある。

そして、それまでは考えたこともなかったような選択肢が突然ふって湧いたように現れ、そこに身をゆだねていく過程、そして予想外の事態が次々と降りかかるさまが描かれていきます。

あらかじめ「子どもができたら、こうしよう」といった計画を立てることは不可能ではないかも知れませんが、その計画があまりにも非現実的であれば、足がすくんでしまって実行に移せないかもしれません。

でも、計画する間もなく、背中を押されるようにして始めたことであれば、ほかに選択の余地がないために腰を据えて取り組まざるを得なくなり、その結果、細かいことにこだわることなく良い方向に転がっていく、ということもありそうです。

そもそも計画というものは、それが立てられた瞬間から陳腐化していくものであり、これに沿って行動することは、「いま」との乖離を無視して突き進むことになりかねません。

これは、『偶キャリ。』の以下の言葉がまさに指摘しているところです。

“いま”を犠牲にせず、「きちんと楽しむ」ということは、将来への「負の遺産」を残さないということでもある。“いま”の不満や不完全燃焼は、先送りしてもおそらく解決しない。今日をちゃんと生きること、今日を明日の言い訳にしないことが、素晴らしい「偶然」の種を蒔くことであり、出会った「偶然」を逃さずキャッチするためのスタンスなのである。

同じことは、Steve Jobsの言葉にも見いだすことができます(原文はこちら)。

私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。

「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」

それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

まとめ

冒頭で引いた『偶キャリ。』の言葉を再度引用します。

「何をやりたいか」、「何はやりたくないか」は、実際にその「何か」と出会ってみて初めてわかるところがある。「“良いキャリア”とは何か」を考える前に、とりあえずキャリアの一歩を踏み出すこと──。

自己分析や自分のスキルの棚卸しばかりしていても、肝心のキャリアはスタートしない。そうした現在のキャリアプランニングの考え方や既存のキャリア理論に対して疑問を感じたことも、本書を書くきっかけの1つである。

これは、キャリアプランニングだけにとどまらない考え方だと感じます。



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