佐々木さんはほぼ100%の仕事を家でこなす在宅ワーカーで、その環境だけならば「私と同じ」はずなんですが、とにかくいろんなことが速い。
打ち合わせしているときも異様に決断が速い。
この人、何も考えず、何も聞かずに「いいと思います。やりましょう」って言ってるだけなんじゃないか。
賛成意見をいただける時は、本当にそういうレベルで速い。
いっぽうで、
- なぜ人々は、あんなにあれこれ時間をかけて、考え込んでしまうんだろう?
と思うことはあります。つまり、これは個性の問題なのかもしれません。決断力というような話ではなく。
「いいと思います。やりましょう」
と私が言っているときには、ほとんどの場合、娘が私の提案に賛成してくれる心境と似たようなところがあると思います。
検討すべきは時間的な空きがあるかどうか
私はこの場合には、「ごりゅごさんが提案してくれた」ということが「いい」ので、提案内容について深く吟味する必要性をあまり感じません。
娘は幸いなことに、「私の発言」をのきなみ「いい」と思ってくれるようなので、やはり私の提案には即答で、何でも「いいね! やろう! すぐ!」となるのです。これと似ているのです。
ごりゅごさんの提案は、本当にすべてがよかったのか? 何でもかんでも唯々諾々と即答するのは、アホのやることではないのか?
というような意見もあるでしょうが、私の提案にしてみても、娘はいつもいつも楽しかったわけでもいい思いをしたわけではないのです。11年もほとんどいっしょに過ごしているのですから、ときには言い争ったり気まずくなることもあります。
しかし、1度や2度、ろくでもないことがあったからといって(ないのですが)、
「今後、ごりゅごの言うことには警戒するようにしよう!」
などと検討する意味があるでしょうか? そんなことをしていたら、世の中、警戒すべきことばかりになって、無駄な時間と考え事ばかりになってしまいます。
「いいと思います。やりましょう」
には、2段階が含まれています。
- 「いい」はせっかくのごりゅごさんの提案だから「いい」のですが、
- 「やるかどうか」は時間的な空きがあるかを、いちおう検討しなければなりません。
私にはリピートタスクのセットがあります。
今回の仕事については、デイリーリピートで「ごりゅごさん対応(11分・毎日)」を用意してあります。これは毎日の繰り返しで、例外はありません。
本書で書いたところの「絶対にやること」です。「絶対にやること」なのですから、いまやるか、明日やるか、3日後にやるかと考えるのは、欺瞞です。
そして、日々の記録から、たすくまで確認すれば、11分も毎日かける必要はないことがわかっているのです。だからまだ「ごりゅごさん対応のための空き時間」があります。
ごりゅごさんの提案だから「いい」。
毎日11分のタスクには、平均時間から見て余剰な時間があるから、時間はある。
つまり、「いいと思う」のであれば「やりましょう!」となるのです。
実際、たすくまで確認したところ、「ごりゅごさん対応」というタスクにかかっている時間は、ここ100日間で平均6分であり、実行タイミングとしてはほぼすべてが朝の9時から13時の間です。
本が完成し、Amazonで販売されていることからも、この事実はれっきとした現実であって、これで充分ということがわかります。
「いいと思うからやる」
これを決めるのに3秒もかける必要はないと、私は思うのですが。
Follow @nokiba
というようなわけで、本書ができました。
自分でも何度か読みなおしていますが、たしかにこの話は伝わりにくいのかもしれません。
しかしそれは、「未来の計画を立てるのは当然である」とか「気になることを洗い出すとスッキリする」といった経験や前提を、タスクシュートにも強引に当てはめようとするからそうなるのであって、タスク管理や時間管理についての偏見をとっぱらって、タスクシュートの考え方そのものだけを見れば、また違った理解が進むと信じています。