これを翌日にすべて見返し、必要に応じてメモを書き加えて後日の活用のためにストック。
以下の記事に書いた「同期」の目的もありますが、
並列化によって、昨日の自分と今日の自分の「同期」、すなわち引き継ぎが行われ、スムーズに今日の仕事を始めることができるわけです。
これとは別に、
一夜明けて、改めて前日の自分の視点で写真を目にすることによって、撮ったときの自分とは異なる印象を抱くことがあり、この違和感を捕まえたい、という意図もあります。
撮ったときの自分はある意味「独りよがり」である可能性が高い。時間を置いて見返すと「こういう見方もできるのではないか?」という他者目線に近い感覚で同じ写真に向き合うことができます。イメージが変わるのです。
このイメージの変化は、おそらく記憶との突き合わせによって生じる現象だと想像しますが、この変化こそがアイデアの発火点なのだと思います。
同じもののはずなのに違って見える
以下は昨日(2020年5月17日)に撮った自宅オフィスの写真です。
毎日ここで仕事をしているので、僕自身にとってはあまりにも日常すぎる風景です。でも、いまこの記事を書きながら改めて見てみると、いろいろなことが思い浮かびます。
- 机上スペースが狭い(書類を広げる余地がない)
- 左上のディスプレイはあまり活用できていない(#Apple TVのお天気ナビゲータ for TVを常時表示)
- 天板がなければもう少し大きなディスプレイを導入できるのに…(現在は横長の29インチ #ディスプレイを使用中)
写真を見返すことをしなければ、何の疑問も抱くことなく日常に埋没していく可能性が高いのです。
もちろん、それが悪いわけではありませんが、実は改善の余地があるのにそれに気づけずに過ごしてしまうのは機会損失でしょう。
ハッとしたことが発想に展開する
以下は昨日撮ったスクリーンショットです。
出典は最近Kindleアプリで読み始めた以下の本。
こちらは先ほどのオフィスの写真よりもダイレクトです。
マーカー部分から、スクリーンショットを撮ったときの自分の「ココを見ろ!」というメッセージがビビットに伝わってきます。
本を読みながら「ハッ」としたこと、すなわちドロドロしたまだ形のない何かを、マーカー付きのスクリーンショットを介して未来の自分に託しているのです、これに何か形を与えて欲しい、と。
昨日の今日なので、このスクリーンショットを目にするだけで「あぁ、あれね」と過去の自分の意図を十分に汲み取ることができます。
バトンをしっかり受け取ることができる。
同時に、先ほどのオフィスの写真と同様に、
- 撮ったときには気づかなかったこと
- 目に入らなかったこと
- 思ってもみなかったこと
…もまた、このタイミングで見えてきます。
ちょうど、いま目にしている写真の上に新しいレイヤーが覆いかぶさるイメージです。
最初のハイライト時点での「ハッ」の上に、新しい「層」が重なり、発想になる。
見返すタイミングが遅れると、
- 最初の「ハッ」が霧消してしまい
- 「なんでここをハイライトしたんだっけ?」と考え込むことになり
- 生まれていたかもしれない発想を逃してしまう
…という、これまた機会損失に。
まとめ
『仕事は楽しいかね?』という本の中でマックス老人が「新しいアイデアというのは、新しい場所に置かれた古いアイデアなんだ」と言っています。
写真に撮る、すなわち目にした光景の中からその一部分を意図的に切り出す行為、とはまさにアイデアというものを具現化したイメージそのものといえます。
写真を見返すことは、昨日の「一部分」を今日という新しい場所に置き直すことになるからです。
ということで、写真を撮ったら翌日必ず見返してみることをおすすめします。
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