- □シゴタノ!原稿
とあったとき、どうしたらこれに抵抗ほぼゼロで取りかかれるようになるか、というテーマなのです。
たとえば私がどこかで「時間というのは死ぬまでなくなりません!」と言うと確実に反対されます。人によっては「時間があったためしがない」とおっしゃるでしょう。
「時間がない」は、締め切りが迫っているという意味です。
締め切りは守らねばならない。
私はそれにすらも、いまでは異論がありますが、とりあえずそれはそうだとしましょう。
締め切りは守らなければならない。
ならば、
「あなたが締め切りを守った仕事については、いつ、どのようにして守ったか?」
を、必ず思い出していただきたいのです。
あなたが締め切りを守った仕事については、いつ、どのようにして守ったか?
私には、これが最重要の情報だという気がしてなりません。
締め切りは、守らねばならない。
その締め切りを私は、何月何日の何時に、このように仕事を進めたことで、守った!
という情報が最重要ではないでしょうか? 現実にやらなければならないことを、現実に自分が行ったという情報こそが。
ところが、それではいけないというお話になりやすいのです。
タスクを実行しようとすると急に気持ちが萎えるのはどうしてなのか?
そういうやっとこさっとこ締め切りがなんとか守れました・・・ゼエゼエ・・・というようではダメだと。もっとスマートに計画されて締め切りが守られないといけないということのようです。
私にはその発想に無理があるという気がしてなりません。忙しいから、ギリギリになるのです。そうであればむしろ、ギリギリになってゼエゼエ言いながらでも締め切りに間に合わせられたことが非常に有意義でしょう。忙しいのですから。
(ここで「私はそんなに忙しくもないのに・・・」と脊髄反射で考えてしまった人へ。それは「思い込み」かもしれないと真剣に疑ってみてください。誰かに客観的な忙殺度を測ってもらったことのある人はいないのです)。
この「もっとスマートに計画されて締め切りが守られないといけない」という無理のある発想だから
タスクを実行しようとすると急に気持ちが萎える
という、表題のようなことになってしまうのです。本当にタスクを実行するようなときには、そういう心もとないテンションでなんか、あり得ないと思います。
「いまやらずして、いつやるか?!」
というテンションに、自然となっているはずです。
つまり、現実に行うタイミングでやっているときは、いつも目を血走らせながらゼエゼエ言ってやるのです。それこそが貴重な情報を残す、リアルな自分自身の姿というものです。
忙しくもないのに、タスクシュートなどやるとは考えられません。
余裕があるということは、つまり暇があるということで、それだったら最終目標から、ブレイクダウンして、未来の計画を、日程に従って実行し、その反省を次に生かすなどという、余裕のありすぎる「仕組み」を回すことだって可能となりましょう。
そういう「仕組み」で仕事をするというのは、まるでファンタジーです。
リゾートホテルで1000円もするカフェを片手に仕事を片手間にやるというのはファンタジーです。そういう計画を組んでも、リアルと何の関係もないから
- □シゴタノ!原稿
をする気になれず、愛人と南国のリゾートホテルで戯れている様を妄想しながらネットサーフィンしてしまうのではないだろうか。
リアルと関係ないことを、私たちはしないのです。する気になれないからです。前倒しで仕事をするとか、ブレイクダウンして美しく仕事を回すというのはファンタジーです。もっと現実的に考えるべきです。
やる気がしないのは、まだやらなくていいことだと心のどこかでわかっているから、現実に入っていく気がしないのです。
現実というのはもっと泥臭くてリアリティに満ち満ちているものです。
「仕組み」から未来の計画をデイリーに落とし込むなどそういったことは、よほど暇ができたら試しにやってみましょう。忙しいときにやるようなことではないと、私には思われます。