こういう事が知りたい、ってのを期待通りの時間で、期待通りのコンテンツを取り出せるようになった
聴きながら改めて、記録というのは記録したときの期待どおりに活用ができて初めてその価値に気づけるものなのだということを思い出しました。
僕自身、記録することがもはや当たり前になっていましたが、「そうだった、活用するために記録してるんだった」と想いを新たにしました。
そして、記録の面白いところは期待とは異なる意外な発見をもたらしてくれることです、ごくまれにですが。
これは記録を続けることによって得られる配当のようなもので、目指すものではありませんがランダムに得られることで気をよくしてますます続けられるということはあります。
話がそれましたが、今回のごりゅごcastを聴いて「なんか似たようなことを以前書いたことがあるような気がする」と思って探したら、見つかりました。
意味のある記録を継続するための3つのポイント
2012年4月に書いた以下の記事です。
ここで言う「意味のあるなし」は主観的なものです。何を大事にしているかは一人ひとり異なるからです。それゆえに、万人向けの効率的なライフログのとりかた、という方法論を体系化することは困難でしょう。
代わりに、自分にとって意味のあるライフログのとりかたを確立するための手順は体系化できそうです。それが、今回ご紹介する記事の内容です。
僕なりにまとめると、次の3つが外せないポイントだと考えています。
+ 1.記録の対象を明確にしておく
+ 2.記録のトリガーを用意しておく
+ 3.記録の負荷を極小化しておく
感情に注目する
対象を明確にするうえで重要なポイントが「感情」です。
感情には次の2つの種類があります。
- 1.この記録、後で必要になったときにサッと見つかったらうれしいだろうな
- 2.今のこの気持ちは記録しておかないと絶対に忘れるだろうな
1は、これから残そうとする記録を未来の自分に役立ててもらおうというスタンスです。
2は、現在の自分というものを未来の自分に可能な限り伝えようとするスタンスです。
似たようなものに感じられるかもしれませんが、目指すところが微妙に異なります。
1の場合は未来の自分の行動をサポートしようとするのに対し、
2の場合は未来の自分の認識を補強しようとするものです。
1.この記録、後で必要になったときにサッと見つかったらうれしいだろうな
1は以下のような疑問に対する答えがサッと得られるようにすることを目指します。
- 昨日はこの仕事どこまでやったっけ? 今日は何をすればいい?
- このタスクは午前中がいい? 午後がいい?
- そろそろ花粉症の季節だけど、去年の今ごろはどんな対策をしたんだっけ?
いずれも、記憶に頼るより記録を参照した方が満足度の高い判断がくだせます。
そのためにどんな記録を残せばいいのかは、「あー、これを記録しておけば良かった」と後悔するたびに分かってきます。
記録する → 活用できる → 満足度の高い判断がくだせる → うれしい → もっと記録する、というスパイラルで楽しく上達します。
記録が空しいと感じたら、その記録はあなたにとっては不要である可能性が高いです。
2.今のこの気持ちは記録しておかないと絶対に忘れるだろうな
一方2の場合は、残す記録が未来の自分によって今とは異なる解釈がなされる可能性を暗に受け入れるスタンスです。
未来はどうなるか分からないけど、過去にこういう風に考えていたこともあったということを思い出して欲しい、というメッセージを託すイメージ。
未来の自分にとっては「過去のこういう自分があっての今の自分なのか」と再認識するうえで助けとなります。こういうとき、記憶はまったく当てにならないので、記録がないと「今の自分」を見誤ってしまうかも知れません。
あるいは、記録を参照することで「また同じループに入ろうとしているぞ」ということに気づけたり。
そういえば、佐々木正悟さんがCHANGESで以下のようなことを書かれていたのを思い出しました。
» すべてのことは「今やっているこのタスク」につながっている
過去をどう振り返って反省しても、未来をどう計画しても、時間の使い方を選択できるのは「今」だけです。これを読むか、それとも家族とおしゃべりするか、はたまた二度寝するか、選択できるのは今だけです。
この今すぐする選択によって、後のこと全てに影響を与えます。
今2分間、この記事を読むことで、2分間は、寝る時間が遅くなります。
寝不足になれば翌日する全てのことに影響を与えます。
一つ一つの行動の影響は微々たるものかもしれませんが、それは決して「ゼロ」にはなりません。
全ての時間は切れ目なくつながっているので、どこかでリセットしたりもできません。
今現在の選択は、必ず今後の全ての行為に影響をおよぼします。
過去があっての今である限り、過去の認識を引きずらざるを得ません。
卑近な例としては、本を買うとき、なぜその本を読もうと思ったのかを詳しく書いておくことがあります。
今回の失敗は、普段から記録を重視して過ごしている自分にとってはあるまじきものでしたが、「自分はぬかりなく記録を続けている」という過信があったからこそのスキだったのではないかと考えています。
おそらく「これほど自明なことを忘れるわけがない」という油断があり、そうであったとしても「でも、未来の自分など信用ならないので、記録はきちんとつけておこう」と普段なら切り替えるところを、この時はそのまま通してしまったのでしょう。
まさに今「ロールバック」をしたい気持ちでいっぱいです。
自明なことほど記録に残しておきがいがあるというものです。
編集後記
今日の記事を書くのにかかった時間:70分。https://t.co/OsMH2odxjh
過去に書いたことに助けられています。これもまた記録の活用法ですね。 pic.twitter.com/98cRE9VGsC— しごたの/大橋 悦夫 (@shigotano) February 27, 2019