区切りがないと、どれだけがんばればいいかが見えないので自動的に「いのちだいじに」的な省エネ走行になり、結果もふるわないものになります。
同じことは一日の過ごし方にも当てはまります。
一日の時間を最大化しようとすればするほどスキができる
一日の時間を最大化しようと思えば、ずっと家にいるのがベストのように思えます。
結論から言えば、これはベストどころかワーストと言ってもいいくらいのバッド・チョイスです。ずっと家にいるということは一切の区切りを排除することだからです。
ずっと家にいるということは、寝る時間という“本丸”以外は丸腰状態で闘いに臨むことを意味します。
何の闘いか?
己の意志との闘いです。
寝るまでの時間を完全に自由に使えるとなると、実に夢のようなことのように思えるかもしれません。
でも、これは区切りのないジョギングコースのようなもので、自動的に「いのちだいじに」ならぬ「じかんだいじに」的なモード、すなわち省エネモードに切り替わってしまいます。
何でもできるけど、おいそれと何でもしてしまうわけにはいかない。ここは慎重に計画を練らないと…ということで、たっぷりある時間をうまく使えないままに意図せずして「うかうか」してしまうのです。
不意にまとまったお金が手に入ると、無駄遣いしてしまう状況に似ているかもしれません。
一日の時間を複数の環境に区切る
この状況を打破するには、区切り線を入れていくしかありません。
しかも、自分では動かせない区切り線です。「10時になったら本気出す!」みたいな宣言ではぜんぜんダメです。「改めて10時10分から本気出す!」のように繰り返し書き換えが可能になってしまうからです。
10時から人と会う約束がある、となればこれは容易には動かせませんから10時にその人と会えるように、10時から逆算して、移動や身じたくやそれまでにできる仕事などを10時までの時間枠にはめ込みながら考えることになります。考えざるを得なくなります。
でも、この「操作」は一日全体に対して行うよりも断然ラクに行えるはずです。時間枠が小さいので、そこに収めうるピースも少なくて済むからです。小さめのジグソーパズルを組むようなもので、さほど負荷を感じないからです。
僕が自宅でも仕事ができるのにあえてシェアオフィスまで出向いて仕事する理由はまさにこれです。
シェアオフィスに来れば(今まさにシェアオフィスでこの記事を書いています)、電車が動いている間に帰宅する必要があります。
何時に帰るかは自由に決められるにしても、「電車が動いている間に」という自分では動かせない区切り線、デッドラインが引かれているのです。「○時までに帰ってきてね」という“指令”があればさらに厳しさは増すでしょう。
そうなると「シェアオフィスにいる間にこれとこれだけは片づけよう」というゴール設定をおのずと行うことになります。
あるいは「これは家に帰ってからでもできるから、帰宅後の自分に任せよう」といった具合に、あたかもシェアオフィスにいる自分と、帰宅後の自分という2人からなるチームで仕事をしている気分になってきます。
結局は自分がやるのですが、区切り線のこちら側とあちら側とで自分のモードは間違いなく変わりますので、不思議と誰かと分担しているような感覚が生まれるのです。
ずっと自宅で仕事をしていると、このようなチームプレイができず、すべて自分一人で仕事に対峙することになり、その現実に押しつぶされそうになります。それが「うかうか」モンスターを呼び寄せてしまうのでしょう。
一日の時間をモードの異なる複数の環境に区切ることで、それぞれの環境ごとに異なる自分が“召喚”されるので、環境(=時間区画)が変わるたびにフレッシュな気持ちで仕事に向き合うことができます。
区切るコストは必要経費
とはいえ、実際のところ「今日はずっと自宅で仕事したほうが間違いなくはかどる」という小さな自分による甘い誘惑に負けることは少なからずあります。
「今から着替えて、電車に乗ってオフィスに行くというのか? 正味4時間程度しか居られないじゃないか。往復の移動時間を考えたら、かなり損するぞ? それでも行くのか?」と畳みかけてくるのです。
着替えたり、移動したり、といった区切る上で発生する時間、そして現実に発生する交通費は確かにコストではありますが、そうしたリスクを取ることによってしか得られないリターンがあるのも事実。
このリターンを過小評価しがちな自分のクセを「小さな自分」はよく心得ていて、そこを巧みに衝いてくるようです。
そういえば、会社員時代に資格試験の勉強を少しでも進めるべく、会社帰りにカフェに寄り道をしていたことがありました。これも一つの区切り戦略と言えます。
まとめ
「まとまった時間」の誘惑に駆られたら、まず、区切る。