こういう本がそもそも好きという事もありますが、この本を読んでいると何と言っても「仕事がまったくできなくてもちゃんとした習慣だけは失わないようにしよう」と意を強くできるところがいいです。
ちゃんとした習慣そのものの価値を再認識させてくれるというか。
「天才たち」の2つのタイプ
フリーランスや物書きが、ただきちんと毎日生きているというだけではまったく十分ではありません。そのうちお金がなくなります。
しかし、少なくともちゃんとした習慣を破綻させてしまうと、お金がなくなるのが早くなり、その代わりに得られるものがあるかどうか、はなはだ心許ないのです。
本書で印象的に残るのは、「天才たち」が「ちゃんとした習慣」という点にいて2タイプに分かれているところです。
- 極度にちゃんとしている人たち
- 生活破綻者
いずれも「天才たち」ですので、良い生活習慣が彼らを天才にしているとも言えず、破綻した生活がインスピレーションを与えているとも言い難いように、思えます。
エネルギッシュで勤勉なギボンのように、休みなく仕事をし、自己不信や自信喪失とは無縁で、我々凡人をたじろがせる天才がいるいっぽうで、ウィリアム・ジェイムズやフランツ・カフカのように、すばらしい才能がありながら時間を浪費した人々、インスピレーションが湧くのをひたすら待って、苦しい閉塞状態やスランプを経験し、疑念と不安に苛まれた人々もいる。
生活習慣がさほど「作品」に影響しないのならば、あとは健康と経済のために生活習慣が安定している方がベター、と私には思えるわけです。
また、この本を読むとよくわかるのですが、生活習慣が極度に安定している人も、極度に破綻している人も、どちらも「習慣の奴隷」に近い事では共通しています。
よく出てくるキーワードは「コーヒー」
前者の中には文字通り、「破綻した生活を脱するために必死で生活習慣をきっちりさせた」人もいます。つまり、機械仕掛けのように毎日を決まり切ったルーティンに「切り替えた」という人が少なくありません。
一方で、年がら年中アルコールやドラッグに頼って、仕事は真夜中というタイプの人々も、どこかある意味では「決まり切った機械のよう」なのです。その生活にはパターンが見られます。ただ、キッカケと展開と見た目とが、たとえばロートレックとカントではまったくちがうだけなのです。
ロートレックもカントも健康に恵まれなかったものの、カントのほうがずっと長く生きています。画家と哲学者ですから比較するには無理がありますが、機械のようにアルコールをいれるよりは、機械のように散歩している方が、長生きはできるでしょう。
そしてたいていの「天才」は、生活習慣という意味では「平凡」なのです。酒もタバコもコーヒーも断つというのは無理なので、せめてコーヒーには頼ります。本書にもっともよく出てくるキーワードは、前の記事にも書いたとおりコーヒーで、80回以上登場します。
使い方は良くも悪くも習慣で、要するに「きちんとした生活がコーヒーで始まる」か、またはコーヒーで二日酔いをさましてからまた酒を飲むか、というわけです。
この本を読むとよくわかるのは、なにごとも「ほどほど」でやめられる人は、少なくともそれによってトータルの人生としては、けっこう大きなものが得られるという事でした。
この本に登場する人々のほとんどはその中間──日々仕事に励みながら、その進み具合に完全に自信をもっているわけではなく、一日休むだけでも、仕事の流れが途切れるのではないかと、つねに不安に思っている。そして、だれもが時間をやりくりして仕事をやり遂げている。ただし、そのために生活をどのように組み立てているかには、数えきれないバリエーションがある。
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» 6月30日 不安を味方につけるための心理学入門 第4回【総集編】(東京都)
今回は、第1回〜第3回の総集編をお届けしたいと思います。
特に、第1回で提起させていただいたADD的注意欠如から来る問題と、仕事におけるコミュニケーションで「解消しきれない人に降りかかってくる」問題。
それを第2回では「徹底的なタスク管理」でどこまで解決しきれるかという点について考えました。
今回の第4回では、全体のまとめとして私自身が「駆使して」いる、ありとあらゆる問題解決方法を全部出し切ろうと思っています。