このあたりについて、気づいたことがあるので書いてみます。
まさに今日なのですが、マーベル映画を全部観てみよう、と思い立ちました。以下の作品群を上から順番に、です(今後の公開予定も含む)。
- 01. 「アイアンマン」(2008年)
- 02. 「インクレディブル・ハルク」(2008年)
- 03. 「アイアンマン2」(2010年)
- 04. 「マイティ・ソー」(2011年)
- 05. 「キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー」(2011年)
- 06. 「アベンジャーズ」(2012年)
- 07. 「アイアンマン3」(2013年)
- 08. 「マイティ・ソー/ダーク・ワールド」(2013年)
- 09. 「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」(2014年)
- 10. 「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」(2014年)
- 11. 「アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン」(2015年)
- 12. 「アントマン」(2015年)
- 13. 「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」(2016年)
- 14. 「ドクター・ストレンジ」(2017年1月公開)
- 15. 「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス」(2017年5月公開予定)
- 16. 「スパイダーマン/ホームカミング」(2017年8月公開予定)
- 17. 「マイティ・ソー3/ソー:ラグナロク」(2017年10月公開予定)
- 18. 「ブラック・パンサー」」(2018年公開予定)
- 19. 「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」(2018年公開予定)
- 20. 「アントマン2/アントマン&ザ・ワスプ」(2018年公開予定)
- 21. 「キャプテン・マーベル」(2019年公開予定)
- 22. 「アベンジャーズ4」(2019年公開予定)
この後にもタイトル未定ながら公開予定の決まっている企画もあるようです。
※上記の作品のうち、01~13までの13本は現時点で
さらにこれらとは別に、いわゆるスピンオフ・シリーズもあります。「エージェント・オブ・シールド」(2013年~)や「デアデビル」(2015年~)など、ゆうに10本以上あって驚かされます。
話の順番が前後しますが、そもそも「マーベル映画を全部観てみよう」と思い立ったきっかけは、今年の3月に観始めたシリーズドラマ「エージェント・オブ・シールド」です。
予備知識ゼロで、いきなり観始めたのですが、観れば観るほど「本家」を知らないまま観続けるのは「損」という気持ちが高まってきたため、きちんと「本編」となる作品群を「観るべき順番」で、本腰を入れて、最初から観てみよう、と思い立ったのです。
なぜ、新しいドラマが必要なのか
「エージェント・オブ・シールド」の主人公はフィル・コールソンという人物です。コールソンは「本編」では脇役に過ぎず、しかも原作には登場しない映画版のオリジナルキャラクターですが、ファンの声に応える形でどんどん活躍の場が増え、彼を主役に据えたスピンオフ・シリーズが作られたのです。
しかもシーズン5まで制作が予定されているそうですから、その人気のほどがうかがえます(現時点で、
告白すると、僕自身はこの「エージェント・オブ・シールド」のシーズン1の第1話を観始めたとき、あまりグッとは来ず、最初の15分を観たところで中断しています。2016年11月5日のことです。
当時は、大のお気に入りである「LOST(ロスト)」というシリーズドラマを観ていたので、これと比べて「エージェント・オブ・シールド」は「なじみが薄い」上に、「LOSTを観ている方が時間価値は高い」という判断から、かなり辛口の評価をしていたのだと考えられます。
ちなみに「LOST」はすでに全シーズン通して4回ほど観ており、すでにストーリーは完全に把握しています。にもかかわらず繰り返し観てしまうという不思議な魅力を持ったシリーズドラマです。
それでも、さすがに「LOST」さえあれば新しいドラマは何も要らない、というわけにもいきませんので、常に新しい“LOST”を求めています。
「LOST」の新シリーズが制作されるのがベストですが、必ずしも「LOST」でなくてもいいのです。求めているのは「新しいのに、どこか懐かしい」という“甘塩っぱさ”。
この“甘塩っぱさ”を、パートナーの佐々木正悟さんは著書『ロボット心理学』の中で「なじみ深くて新しいもの」と表現しています。
思春期の中ごろになると、「なじみ深くて新しいもの」を、お気に入りの作家なり、アーティストなりが「リリース」してくれるのを待つのが、ほとんど唯一の楽しみになる。
運良く、松本清張ほどの多作家がお気に入りであればいいけれど、『羊たちの沈黙』で有名なトマス・ハリスのように、五年以上もかけて一作しか発表しない寡作家のファンは大変だ。
まさにこの心境です。
「つまらない」とは何か?
引き続き、『ロボット心理学』より。
私たちが「古くてつまらない」と思うことはふつう、「注意をそらさせられて」いるからこそ、そうなっているようだ。ショーウィンドウの中の「新製品」が「欲しくて欲しくてたまらなく」なるとすればそれは、それに「注意を払っているから」ということになる。
「すばらしいから」というわけでも、「高級だから」というわけでも、「価値が高いから」というわけでもない。「注意を払っている」から「すばらしく」見えるのだ。だまされているような気がするかもしれない。しかし、大脳生理学的には、そういうことらしい。
つまり、自分の「飽きやすい」という性質と闘うためには、「飽きた」ものに対して「注意を払いなおす」ということが答えになるようだ。これは、いかにもばかげた考え方のように聞こえるかもしれないし、「道徳的」すぎて気持ちがよくない人もあるだろう。
ただ、本書の考え方をふまえると、事情は異なる。そもそも、「新しい」とか「飽きた」とかいった価値観それ自体、主観的であるということから出発したのである。つまらないものという感覚は、何ら客観的ではないのだ。
僕が、すでにストーリーは完全に把握している「LOST」を繰り返し観てしまう(飽きずに観ていられる)理由は、「注意を払う価値をそこに見いだせているから」ということになります。
注意を払う価値が見いだせなくなるとき、そのポイントをもって「飽きた」と呼ぶのでしょう。
従って「つまらない」とは「なじみ深さが不足している」状態と言えます。
僕にとっての最初の「エージェント・オブ・シールド」は、まさになじみ深さが足りていなかったために「グッとこなかった」のです。同じ時期にたまたま僕の中で「LOST」熱が再燃していたために、タイミングが悪かったということもあるでしょう。
こうしたタイミングのことを考慮に入れないと、判断を誤ることがあります。
その後、いくつかのシリーズドラマを経て、ちょうど気持ちが“フリー”になっていたタイミングで、ふと「エージェント・オブ・シールド」のことを思い出して、再びシーズン1の第1話から観始めたのが、2017年3月16日でした。
気づけば、すでにシーズン3まで観進めていました。シーズン1とシーズン2はそれぞれ22話ずつあり、1話あたり約45分なので、もうかなりの時間を費やしています。すなわち、「注意を払う価値」が生じているということです。
繰り返すほどに価値が増す
もし、仕事が「つまらない」としたら、それは「なじみ深さ」が足りないから、かもしれません。あるいは足りないのは「新しさ」のほうかもしれません。
「なじみ深さ」に比べると「新しさ」は目立つので、つい目を奪われがちですが、だからこそ「なじみ深さ」に目を向けたいところです。
特に仕事は長く続けるほどに信用と価値が増すものだからです。
言い換えれば、信用と価値を生み出したければ、狭いエリアに限定して打ち込むことが最速ということです。
- いろいろな人の役に立とうとするの代わりに、特定の人の役に立とうと努める。
- いろいろなサービスを提供しようとするの代わりに、単品に特化する。
- 短期に一気に展開するの代わりに、長期的に継続的に提供する。
そういえば、以下の記事でご紹介した、Ninja Food Toursは、対象を「日本食に興味しんしんな外国人旅行者」に絞り込み、提供するサービスを「フードツアー」に限定していました。
会社を辞めて「外国人向けの日本食ツアー」事業を始めてみた人、に密着してみた
また、映画が「2時間前後」という短時間に一気に盛り上げようとする中華料理的なのに対し、シリーズドラマは「1話あたり1時間弱×10話以上」という長時間をかけてじっくりと攻める煮込み料理的といえます。
時間をかけられるということは、なじみ深さを得るチャンスが広がるということであり、試行錯誤の余地を多く取ることができるということです。
まさに『仕事は楽しいかね?』の以下のくだりに通じます。
「いままでに読んだ素晴らしい小説の中で、ベストセラーにならなかったものが何冊あるか、考えてごらん。地方の劇場に出ている俳優だって、ブロードウェイの俳優と同じくらい実力のある人が、何人いるだろう。
問題は、才能のあるなしでもなければ、
勤勉かどうかってことでもない。
コイン投げの達人じゃないってことなんだ。だから僕は、たった1つしか目標を持っていない。毎日毎日、違う自分になること。これは、“試すこと”を続けなければならないということだ。そして試すこととは、あっちにぶつかりこっちにぶつかり、試行錯誤を繰り返しながら、それでもどうにかこうにか、手当たり次第に、あれこれやってみるということだ。
頭にたたき込んでおいてほしい。何度となく“表”を出すコインの投げ手は、何度となく投げているのだということを。そして、チャンスの数が十分にあれば、チャンスはきみの友人になるのだということを」
まとめ
マーベル映画は、マーベル・シネマティック・ユニバース(Marvel Cinematic Universe, MCU)という、一連の作品が共有する架空の世界を舞台としています。
複数の映画で同じキャラクターや組織が登場したり、エピソードがつながっていたりするのです。
このことは「なじみ深さ」を増す上では極めて効果的に機能します。
たとえば、僕が「エージェント・オブ・シールド」をある程度観続けてから、きちんと「本編」となる作品群を観たいと思うようになったのは、主人公のフィル・コールソンに対する「なじみ深さ」が一定のしきい値を超えたからと言えます。
今日は手始めに「本編」の最初の作品である「アイアンマン」(2008年)を観ました。実は過去に一度観ていたので、2回目だったのですが、最初に観たときはフィル・コールソンがこの作品に登場していることを認識していませんでした。
それが、今日は「ああ、あのフィルが出てるじゃないか!」と気づいて、ちょっと興奮してしまいました。
有り体に言えば、フィルのファンになったのです。たとえば、以下のような動画も自ら探し出して観始めるようになりました。
せっかく作った世界観を1つの作品で終わらせずに、複数の作品で共有することで、観客に「なじみ深くて新しい」を提供することができます。
観る側からすれば、「なじみ深いフィルの新しい活躍が観られる」という期待が高まるでしょう。
マーベル映画は「短期集中志向」ではなく「長期継続志向」の戦略を採用しているわけです。
とはいえ、「長期継続志向」にも良いことばかりではなく課題ももちろんあります。
このあたりについては、長くなってきたのでまた改めて。
↓続きを書きました
続・マーベル映画に学ぶ、「短期集中志向」より「長期継続志向」を選ぶ理由