仕事の難しさは「終わらせる」ことにあると感じています。
終わらせなくてもいいなら、実に簡単です。
おぼろげな記憶しかありませんが、子どもの頃に親に連れられて陶芸教室のような場所におもむき、陶芸のまねごとのようなことをさせてもらったことがあります。
回っているろくろの上に乗って回転しているいる、まだぐにゃぐにゃしている泥でできた何かを少しだけ触らせてもらったのです。
少し力を加えるだけで、即座に変形していき「ああ、これは楽しい」と感じたのを覚えています。
今ふり返ると、ここで感じた楽しさは、「終わらせなくてもいい」という気楽さも大いに手伝っていたと思えます。
もし仕事として取り組んでいたのなら、どういう形にするのかを真剣に考えなければならないでしょう。その後に窯で焼いたり、釉薬をかけたりといった工程のことも考慮に入れ、納期があるなら、時間管理のことにも一定の注意を払う必要があるでしょう。
「ああ、楽しい」とばかりは言っていられなくなります。
だから、いったん「終わらせる」ことは忘れる
「取りかかる」だけなら簡単なのです。
「イヤな仕事はなかなか取りかかれないじゃないですか」という意見もあるでしょう。
それは、しかし、違います。「取りかかるだけ」なら本当に簡単なのです。
「イヤな仕事はなかなか取りかかれない」には省略されている部分があるのです。
「イヤな仕事は(取りかかれても簡単には終わりそうもないから)なかなか取りかかれない」
つまり、終わらせようとしているからこそ、それがプレッシャーを生み出し、取りかかりを阻害するのです。
であれば、終わらせようとしなければいい。
- 「今日は取りかかるだけだから」
- 「むしろ、終わらせたらダメだから」
という気持ちで取りかかるようにします。
たとえば、気の重いメールの返信になかなか取りかかれないなら、
- 「今日は返信メールに書く内容をリストアップするだけだから」
- 「むしろ、書き上げて返信しちゃダメだから」
という気持ちで取りかかります。
すると、リストアップし始めたら意外にもスルスルと書く内容が出てくるので、「あれれ?」と思い始めます。
ふと気づいたときには、メールが書き上がっているのです。
ただし、ここでそのまま返信してしまわない、終わらせてしまわない方が良いです。
終わりそうになっても、あえて終わらせない
上記のような拍子抜けすることは、やってみるとけっこうな頻度で起こります。
良いことなので、喜ばしいことですが、何度かくり返していると、次第にうまくいかなくなります。
- 「取りかかるだけだから、とか言いつつ、あわよくば終わらせようと思ってるんでしょ?」
- 「前回もそうだったし」
などと、“先回り”をし始めるようになるからです。
だからこそ、締め切りが迫っていない限りは、あえて終わらせないようにした方が良いのです。
そうすることで、結果として「本当に取りかかるだけで済んだ!」という印象が残ります。
「終わらせようと思えば終えられたけど」という状況は一晩寝ればすぐに忘れます。
かくして翌日。「続きをやらないと…」と思って、その仕事を再開しようとすると、もうほとんど終わっている。
- 「なんだ、あとほんの一手間で終わらせられるじゃないか」
ということに気づいて、難なく取りかかり、そして終わらせることができるでしょう。
こうして、「簡単に勝たせてもらえる」という体験をくり返していると、クセになります。
ほどほどにしないと、「終わらない」仕事術になってしまうので、逆に注意が必要なくらいです。
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