- やるべきことをやらずにいることには、メリットがある
- やるべきことをやることには、コストがある
「やらなきゃ!」と思っているのにできないのは、私が思うにこういうからくりによります。ではこれをどうしたら解決できるか。大枠としては、やらずにいることのメリットを減らし、やるべきことをするコストも下げることによってですが、それについて次回以後考えていきます。
「それ」はつまり、
- やるべきことをやらずにいるメリットを下げる
- やるべきことをやる上のコストを下げる
のいずれか、または両方一遍に行えばいいのです。そうすれば、「やらなきゃ!」と思っているのにできないという事態を回避できます。
やるべきことをやらずにいるメリットとは?
多くの場合、やるべきことをやらずにいるメリットなど考えつかない、とサクッとお答えになる方が多いのですが、そんなはずはありません。
そのメリットを「知っている」からこそ、やるべきことをやらずにいるのです。
ごく単純に「やるべきだ」という気はするものの、実際どのくらい「やるべき」なのか、判然としないことがあります。というよりも、判然とすることなどそうありません。
たとえば、少しややこしめのお客様からのメールに、今すぐ返事を書くべきでしょうか?
当然これは「イエス」なのですが、しかしそれでも「下手なメール」を返すことによって、事態を非常にややこしいことにしてしまう可能性は、あります。
この一例からすぐわかるのは、やるべきことをやらずにいるメリットとは、主観的なものであり、決して客観的でも数値化できるものでもないのです。
やるべきことをやる上のコストとは?
また、やるべきことをやらずにいるメリットと、やるべきことをやる上のコストとは、この事例でもそうですが連動しています。
やるべきことをやらずにいれば、やるべきことをやってしまった場合の「炎上」を避けられる、ということがそもそもメリットなのです。
他人はもちろん、簡単にいうでしょう。
「そんなことをしていたところで事態はよくならないのだから、打てるべき手をさっさと打つべきだ」というようなことをです。
しかしこのように指摘する人もまた、他の人に簡単に指摘されるような、ごくごくつまらない問題を前にしただけで、右往左往しはじめるものです。
たとえばクレームメールにはめっぽう強い人でも、ゴキブリを前にすると急に「何もせずにいることのメリット」をこれ以上できないくらいに高く見積もったりします。
メリットもコストも、主観的な評価なのです。自分の心の中で「これに価値あり」「あれにコストあり」と決まっているのですから、再評価は容易ではなさそうに見えます。
経験と記憶から考える
主観を再評価するために、心理学的に重要とされるのは、経験に対する記憶を再評価することです。
クレームメールに返信できないのは、イヤな記憶が不安を招くからです。この場合記憶は連想という形を取るため、必ずしもクレームメールに対してイヤな記憶を持っていない人でも、対人関係でイヤな思いをしたことがあって、それを重要視しているなら、同じようになってしまいます。
ここではやはりクレームメールを例に取りますが
- クレームメールを返信しないことで、何を得て、何を失うのか?
- クレームメールを返信することで、何を得て、何を失うのか?
このことについて真剣に自問する必要があります。
そして、その時、確かに返信することのメリットは返信しないことのメリットより大きく、返信することのコストは、返信しないことのコストよりも低いと確信できない限り、その時にはメールを出さないでしょう。後にもっといいタイミングまで、返信を先送りにすることとなります。
勘のいい人なら、だからこそ日記というものが、実はこういう心理に対して有効なのだと直観するでしょう。記憶はどうしても主観の影響下にあります。主観を質さない限り、事態は好転しません。だから主観の外にある「経験」によって、主観にメスを入れたい。
それによって、不合理な判断基準を脱することができるからです。