もちろん、多くの人に読んでもらえれば、書いた側としてもうれしいですし、書きがいも出てきます。自己重要感が満たされうる、というメリットが挙げられます。
でも、それ以上のご褒美は、記事としてまとめる過程で自分の知識が整理され、理解がより深まることです。
一見、地味なメリットのように思われるかもしれませんが、だからこそ重要な意味を帯びてきます。
地味であるがゆえに平常心を保つことができるからです。
気分の“乱気流”に振り回されない
筋トレがまさにそうなのですが、1回や2回、ジムで身体を動かしたくらいでは身体にはほとんど変化は現れないでしょう。
変化が現れなければ、そこでやめてしまうリスクもあるのですが、現れないからこそ不断の努力の余地が生まれます。
変化という刺激が強すぎると、それに反応せざるを得ないために、努力が気分の“乱気流”に振り回されやすくなってしまうのです。
例えば、栄養ドリンクを飲むと一時的に元気が出ますが、ほどなくして反動がやってきて、だるくなります。背伸びをするようなもので“長持ち”はしないわけです。
加えて「いざとなったら栄養ドリンクに頼ればいいか」ということで“体質”の改善は進まないでしょう。
そうではなく、自分でも気づかないくらいのペースで、しかし、確実に変化が起こっているのなら、努力の“安定飛行”が続けられます。
そのようにして、きちんと時間をかけて身につけた力こそが、本当の意味で人の役に立つ“筋力”になります。
このことに気づいたのは会社員時代。
「分かる」と「教えられる」の違い
きっかけは、社内研修の講師を引き受けたことです。
Excelの活用法やマクロ(VBA)の組み方など、自分が関連書籍を読んだり、日々の仕事の中で試行錯誤して得ていた知識を改めて人に伝えることによって「分かる」と「教えられる」の違いに気づかされ、単に「分かる」だけでは人の役には立てない、ということを痛感しました。
なかなか伝わらない歯がゆさがあったからこそ、「うまく伝えるにはどうすればいいか」という課題に取り組むことになり、その結果「何かに喩えると伝わりやすい」という発見に至ります。
すると、必然的に「うまい喩えを素速く思いつくにはどうすればいいか」という次なる課題が立ち現れます。幸いにして、折りよく良書との出会いに恵まれ「素朴理論をTPOVとして言語化する」や「効率のいい説明の手順」に触れることができました。
その後、また別の本で「スキーマ」という概念に出会い、たくさんのコツを個別に覚えるよりも、「要するにどんな時に何に注意してどう行動すればよいのか」という一般原則、あるいは方針を明確にするというアプローチを学ぶことができました。
ブログの良いところは、目の前に相手がいなくても、誰かに読まれうる、という状況が生じることです。しかも、目の前に相手がいるわけではないので、納得のいくまできちんと時間をかけて伝えるべきことを整理することができます。
自然と「教える」の試行を粛々と重ねることになる、場数を踏み増すことになるのです。