私はどうしても思ってしまうのですが、一般に流布しているPDCAというサイクルのイメージが、ちょっと強すぎるということです。
問題を、改善すれば、いい結果につながる。
大きく言えばそうなのでしょうが、なんといってもPDCAは、製造業で力を発揮すると思います。個人で言えば、工作でしょうか。
まったく同じものを、もっとうまく速く、そしてうまく作ろう、というのならわかりますが、そもそも毎日の生活のような、ものすごく多様な要素が絡み合っていて、なおかつ「品質」などの計りにくい内容について、問題を、改善するといって、そんなにシンプルにできないと思うのです。
レビューとは「改善するべき問題をあぶり出す」ではない
食事にしても、毎日、ほとんどまったく同じものを作るだけなら、改善すれば、より速く、そして(あまり代わり映えのしない)食事をよりうまく用意できるかもしれません。
しかし私の仕事にしても、たとえば「日経ウーマンオンラインの連載」といったものは、毎回同じものを書くわけにいきませんし、より速く、より多くの人に愛されるように、どんどん改善する方法など、簡単には見つかりません。
季節ごとに、また社会状況ごとに、流行といったものは変わりますし、トレンドも、検索傾向も、何もかもがどんどん変化していきます。それにあわせて最適化することはできても、それをするのがよりよいこととは限りません。
また、当然私自身がどんなテーマ、どんなネタを選べばうまく書くことができるかは、かなり微妙な問題であって、時間がかかったから問題があったとは言えないし、そもそも誤字脱字のようなわかりやすい問題をのぞくと、何が「問題」かもわかりにくい。
読まれなかったからつまらなかった、とも言い切れません。
だから私自身は、レビューと言っても、もはや「改善するべき問題をあぶり出す」などと言うことはしなくなりました。それより、何かが思い出せなくて残念に思った時、それを次回以後、思い出せるように記録の方法を検討することにしています。
- 思い出そうとする → 思い出す
これがレビューの成功です。
- 思い出そうとする → 思い出せない → 今後思い出せるようなシステムを検討する
これが「改善」です。
とにかく、思い出そうとする。これを知らず知らずのうちにあきらめてしまうことが多いのです。私が生まれた時はまだ、ITなんてなかったので、思い出せないことのほうがふつうでした。今は環境が大きく変わっているのに、相変わらずあきらめてしまうクセが抜けません。
このクセをまずは何とかする。それは高度に発達したログサポートと、レビューを上手に行うことによって何とかなります。
思い出せると何か変わるのかと言われれば、思い出すことで、思考が先へ展開します。思考は記憶想起ばかりではありませんが、思考のために記憶想起は絶対に必要です。記憶想起に失敗するということは、スムーズな思考がそこで停止させられることを意味します。
思考がスムーズに先へ先へと展開すれば、仕事の質も生活の質も、多少は上向くはずです。つまり、スムーズに思い出すということは、仕事や生活の全体に関するレビューとして、機能すると思うのです。
とにかく、何かを思い出したくて思い出せないというときには、簡単にあきらめないことです。今までなら当然「べつにいいや」ですませていたことでも、今なら容易に記録を探り出せるようになっているからです。