悪い見通しの典型例が差し迫る〆切である。〆切が差し迫ったとき、人はやる気が出る。なぜなら、やらずにいるとまずいことになるということが、ハッキリするからだ。ハッキリわかると、やる気が出る。
やる気はふだんブレーキがかかっている
忘れてはならないのは、やる気というものの正体がなんであれ、それはふだん以上に体力・気力などのエネルギーを使うということだ。生物のエネルギーは、エネルギー源がなんであろうと、有限なリソースであり、使用が厳しく制限されている。
やる気は、制限されているのである。
やる気を出すという表現は、こうしてみると適切ではない。やる気を解放するというのが、適切なのだ。やる気は、自発的に出せるようなものではなく、制限されている条件を解除することによって、活用できるようになるものなのである。
だが、限りある大切な資源であるやる気は、いつかやりたいことリストを消化するとか、受信トレイのインボックスをゼロにするなどといったつまらないことに使われることが通常許されていない。
考えてみよう。
「いつかやりたいことを全てやり遂げた!」という個人的で、面白そうなことをやるために精根も尽き果ててしまった。翌日大病になったところ、大災害が発生し、停電になり、経済も大いに落ち込んで、ガソリンも入れられない。
こんなことになったら、命に関わる。明日何が起こるか、完全に明らかなわけではない中で、エネルギーを使い果たすことは許されない。エネルギーは常に不確実性に対処するという重要な仕事のために備蓄がなければならない。
「そんな大げさな。そんな事はめったに起こることではない」といわれると思う。
実際、発生確率がきわめて低い不確実性に対して、私達はさほど気にかけていない。それでも起こらないわけではないことのために、エネルギーの一部は確保されている。
ということは、私達が気にかけているほどの不確実性に対しては、もっと多くのエネルギーが確保されているということになる。
完成させた後にすらどうなるかあいまいならやる気など出ようがない
〆切が二日後に迫ったプロジェクトを抱えているとしよう。おそらくあと二十日はかかる。もしかすると三十日はかかりそうである。関係者にメールしなければならない。悩んでいる余裕はまったくない。
こんな時こそTwitterである。いいわけのメールを出したり、無理を承知でプロジェクトを進める気力は全然ない、そういう気がするはずだ。
これは実に論理的な心の働きの結果なのである。変な焦燥感が募るばかりで、やる気が出ないのは、理に叶っていないようで、理に叶っている。やる気は無限ではない。
いいわけのメールを出すのにも、かなりのエネルギーが要る。しかも、なんというメールを出すべきかも、自明ではない。あと二十日かかりますというか、三十日かかりますというか、二日がんばってみますといってみるか。
なにより問題なのは、その結果がどうなるかが明らかでないことだ。不確実なのである。不確実な中でやる気を使ってしまうのは危険である。もしかしたらメールを出すと非常にまずいことになるかも知れないのであり、そうなったときのためにやる気を取っておかなければならないのだ。だからメールを出すやる気はほんのわずかしか使えないのだが、メールを出すためには非常に大きな気力を要するのであり、この矛盾がやる気の解法をはばんでしまう。
ではプロジェクトを進めるかというと、そのやる気も出てこない。おそらく二日では終わらないし、二日のために莫大なやる気を使ってしまったとしても、その後も気力を必要とするようなまずい状況が待っているだろう。やる気はやはりその時のために取っておかねばならないのであり、したがってたった二日分のプロジェクトを進めるなどのためにはほとんどやる気は使えないのだ。
こんな時、どうしたらいいか?
少しでも事態を明らかにすることである。おそらくはメールを出すことだろう。やる気は出ないはずだ。乏しい気力でもって、しかしやるべきことは、その後にやる気が出せる状況を整えることなのである。
これは実は、仕事でも生活でも常に通じる第1原則であり、やる気の出ないときには、やる気を出す方法を考えるのではなく、乏しいやる気でできることを選択することが肝要だ。選択の基準は、結果としてやる気が出しやすくなるような状況を整えることだ。
あるいは、レースはあとちょうど一〇〇メートルしかないというはっきりした情報を持っていると仮定しよう-とすれば、あなたは残りを全速力で走ることができるだろう。