「一点いくらくらいになりますか?」
「あー、えっと…」この質問が苦手だった。
イラストの発注単価という奴は、これがもう相場などあってなきが如しなのだ。それこそ出版社や編集プロダクションによって、倍どころか三倍も四倍も開きがあり、しかも仕事が終わるまで金額を提示してくれないなんてこともある。いざ終わって蓋を開けてみれば、あらまびっくり玉手箱なんてのも珍しくなかった。
そのため、あまりかけ離れた額を言うと仕事が取れなくなってしまうとあって、以前はよく相手の腹を探りながら、ドキドキしてこの質問に答えたりしていた。
しかし、最近はそれではもうダメなんだと思い始めていた。これではどうしても仕事単価にバラつきが出てしまう。ましてやそれを引き上げていこうと思うなら、自分の中にしっかりと「この仕事はこれだけの対価をいただきます」と、そうした主張ゴコロを抱かねばダメだと考えるようになっていたのだ。
相手の顔色を窺うのではなく、自分で自分の価値を主張する。
それは、会社という箱に守られていたサラリーマン時代なら、当然のように出来ていたはずのことだった。箱を飛び出した途端に臆病になって、これまで一時的にできなくなっていただけのことだ。
「…になります、イラスト一点で」
こちらの回答を聞いて、M野さんは明らかに落胆した表情を見せた。それは高すぎるという顔である。
『フリーランス はじめてみましたが・・・』(p.205)
あまり安い金額にして損をしたくないですし、高くしすぎてまったく売れないのも怖い。
- 仕事は好きだからどんどんやりたい。
- でも、値決めは苦手なのでやりたくない。
- でも、食べていく以上は値決めは避けて通れない。
- でも、仕事は好きだからどんどんやりたい。
- でも、値決めは苦手なのでやりたくない。
- でも、食べていく以上は値決めは避けて通れない。
- でも…
というループに陥ってしまうのです。
せっかく好きなことで食べていくと決めても、こうした障害をうまく乗り越えられないと行き詰まってしまいます。
必要なことは、次の2つの条件の妥協点を素早くミスなく見つけ出せるようになることです。
- 自分にとって「これ以上は負けられない」という価格
- 相手にとって「これなら安いくらいだ」という価格
交渉の余地を作らない、相場のあるところに近づかない
『フリーランスの教科書』という本にも同じような悩みが取り上げられています。フリーランスになりたての悩める「僕」に対して税理士の「先生」が次のようなアドバイスをします。
フリーランスになって困ったのが、ギャラの設定だ。
原稿料が規定で決まっているような仕事であれば、多少安くても納得できる。
しかし、提示されたギャラが明らかに「安い」と思っても、どう料金交渉をしていけばいいのか。「この仕事いくらでできる?」と見積もりを要求された時は、妥当な金額をどう算出するか、とても困ってしまうのだ。
駆け出しだから、仕事は取りたい。でも、思った以上に手間がかかったり、やり直しを要求されて、手離れが悪いこともある。
(中略)
僕「先生たちってギャラの交渉はどうしてるんですか? 士業だから自由業ですよね。広い意味ではフリーランスじゃないですか」
税「まあ、ギャラの交渉は自由ですからね」
僕「ただ、先生たちの場合、報酬の相場というか、規定はあるんですよね? 基準が明確だと交渉しやすいんじゃないですか?」
税「いや、それは昔の話ですね。今は安く引き受ける人がいればどんどん値崩れしてしまいますよ」
僕「士業でも値崩れするんですね」
税「もちろん。だから、収入をアップしていく方向性については考えましたよ。独立したばかりの頃は無料の相談もやったし、安い仕事も引き受けていました。でも、税理士は山のようにいますからね。そこからどうキャリアアップしていくか。やはり差別化しなければ生き残れない」
僕「そ、それは編集者やライターもまったく同じです…」
『フリーランスの教科書』(p.37)
ここから得られる教訓は、次の2つです。
- 交渉の余地を作らない
- 相場のあるところに近づかない
そもそも差別化が必要ということは交渉が必要ということです。
ここで双方にとって納得のいく妥協点が見いだせれば良いのですが、見いだせなければ、交渉にかかった手間と時間がすべて無駄になります。
妥協点が見いだされたとしても、かかった手間と時間は消えることはありませんから、仕事のたびに交渉することになると、おのずと最終的な価格にはその分のコストが上乗せされる、あるいは最終的な利益を圧迫する要因になります。
また、相場価格がある程度決まっている商品やサービスを扱っている場合、相場より高い価格では売れにくくなるため、付加価値をつけるか、相場価格に寄せるか、いずれかの対応が必要になります。相手はいませんが、これは実質的には交渉です。
こういった交渉が不要になれば、こちらの希望する価格で即座に取引が成立することになります。
先ほど挙げた2つの条件を同時に満たすことができるわけです。
- 自分にとって「これ以上は負けられない」という価格
- 相手にとって「これなら安いくらいだ」という価格
そのためには、次の2つの問題を解決する必要があります。
- 「これ以上は負けられない」という価格はどうやって決めるのか?
- 相手に「これなら安いくらいだ」と思ってもらうにはどうすればいいのか?
「これ以上は負けられない」という価格はどうやって決めるのか?
そもそも人が「こんな金額じゃやってられない!」と感じる基準はどこにあるのでしょうか?
言い換えれば、金額がコストに見合うか否かの基準線がどこにあるか、ということです。
コストには2つの種類があります。
1つは、専門知識や技術の習得にかかったコスト(手間と時間と費用)、言い換えれば先行投資のコストです。専門性の高いサービスが高価格なのは、このコストの回収費用が上乗せされているからです。
もう1つは、仕事のたびに発生する時間コスト(時給)です(これがゼロになると不労収入)。
このいずれか、あるいは両方において「損くさい」と感じられるポイントが基準線でしょう。
引き続き『フリーランスの教科書』より、今度は社会保険労務士の「先生」のアドバイスを引用します。
社「社労士的な立場から、もう1つの指標を提示しましょう。
現在、日本の一般的なサラリーマンの総労働時間は1年で約1800時間。残業込みで約2000時間が平均なんです。フリーランスであっても、フルタイムの会社員と同程度の時間働くとしますね。すると
時給1万円×1800時間=売上1800万円
※経費が半分程度だとすると、所得は900万円
経費が3分の1だとすると、所得は1200万円時給5千円×1800時間=売上 900万円
※経費が半分程度だとすると、所得は450万円
経費が3分の1だとすると、所得は600万円ということになります」
(中略)
つまり、サラリーマンと同程度に稼ごうとすると、時給5000円以上をめざさなくちゃならない。年金などの社会保険料も自分で払っていくわけだから。
特に結婚して子どもを育てていくことを考えれば、この程度の収入は必要だろう。
『フリーランスの教科書』(p.44)
少なくとも「サラリーマンと同程度に稼ごうとする」のなら時給5000円が最低ラインということになります。
注意すべきは「1800時間で」というところです。これ以上働くと相対的に時給が下がってしまいます。逆に短くできれば時給は上がります。
※1年は52週間ですから、1日8時間、週に5日働くと2080時間になります。祝日や盆暮れの休みを差し引くと確かに1800時間くらいになるでしょう。
あとは、この時給5000円に、専門知識や技術の習得にかかったコスト(あるいは自分の才能プレミアム)をどれだけ上乗せするかで「負けられない価格」が決まってきます。
こういった計算をする上で欠かせないのが、ふだん自分が仕事にどれだけの時間をかけているのかの正確な記録です。
「まぁ、だいたい3時間くらいでできるだろうから、2.1万円(時給7000円)てとこかな」などと考えて取りかかったら、準備や調整に思わぬ時間を取られてトータルで倍の6時間かかりました、となった場合、時給は半分になります。
ふだんから記録をつけておくことで、堅く見積もることができるため、こうした失敗は減ります。
また、かかっている時間が把握できていれば「もっと少ない時間で終わらせるためにはどうすればいいだろう?」という工夫のきっかけが得られますから、価格は変えずにコストを下げることで利幅を拡大することができます。
相手に「これなら安いくらいだ」と思ってもらうにはどうすればいいのか?
自分がいくら適正価格だ(これ以上負けられない)と思っていても、相手から「高い」と思われていれば売れません。
「安い」とまではいかずとも「これなら安心して支払える」と思ってもらうための工夫は必要です。
こちらでも取り上げた『そろそろ会社辞めようかなと思っている人に、一人でも食べていける知識をシェアしようじゃないか』という本に鮮やかな工夫がありました。リブセンスという会社の事例です。
社長の村上太一氏が考えたビジネスモデルは、次のようなものです。
人材紹介の場合、まず求人情報の掲載自体は無料にしました。ここは、もしリクルートだったら15万や20万、場合によっては40万~50万とかかる部分です。それできちんと人が採用された場合のみ、お金を払うという仕組み。つまり、成功報酬型です。
ただ、ここからがポイントなのですが、だったら採用したことを黙っていればお金を払わずに済むんじゃないか、と企業側は当然考えるはずですよね。
そこで、採用された求職者側には祝い金として最大2万円払います、といったキャッシュバック制度を設けたんです。そうすると、採用された人は2万円が欲しいですから、ほぼ確実に「ここに採用されました」という報告をリブセンスにします。
リブセンス側は、求職者に2万円払うと同時に、その時点で成功報酬として求人していた企業側にお金を請求します。だから、決して取りっぱぐれがないという仕組みです。
これだけの仕組みで、若き村上社長は2年半で約100億円の時価総額を達成しました。これは、リクルートなどのこれまでの同業者とまったく同じ、求人情報の掲載というコンテンツを、まったく違うプロフィットモデルを背景に持つことによって成功したモデルです。(p.87)
なんといっても無料ですから、相手も安心して「支払う」(=発注する)ことができます。少なくとも価格交渉は不要になります。
同じ土俵で戦いつつも、他者と比較されないように「相場のあるところ」から巧みに距離を置いていることがわかります。
差別化とは提供する商品やサービスの内容や質だけでなく、提供の仕方も含まれるということです。
言い換えれば、同じ商品やサービスでも、提供の仕方(スタイルやタイミングやシチュエーション)を変えれば、そこに「これなら安心して支払える」という余地を生み出すことができうる、ということです。
これを決める上でヒントになるのが、こちらでも紹介した「自分にとっての戦うべき場所」の見つけ方です。
では、どうすれば「自分のこと」が分かるのでしょうか。
一言でいうと、「切実に埋めたいと思えるギャップを見つける」ことです。「短大出の家庭教師」の目を引いたのは、「有名私学を目指す」ことと「せめて高校ぐらいは卒業しておきたい」という2つの間に横たわるギャップです。
世の中を眺めた時に、どうしても放っておけないこと、あるいはなぜか引っかかることが少なからずあるでしょう。そこには自分の過去から現在に至るまでの間に身に起きた出来事と何かしら接点があります。
接点があるから、引っかかるのです。
自分というブラックボックスの中身をを分かろうとすれば、このように外に飛び出した引っかかりに注目するしかないわけです。
こうした引っかかりを丁寧に拾い集めていった先にたどり着くのが、「自分にとっての戦うべき場所」です。
まとめ
フリーランスが損をしないような価格設定をするために必要なことは次の2つです。
- 記録を通して自分の時間単価を正確に把握しておくこと
- 自分の商品やサービスの価値あるいは提供の仕方を「比較されないもの」にしておくこと
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来年に向けて今から始められることもありますので、フリーランスを目指す人にもおすすめです。
比較されないプロフィットモデルを作るための知識が詰まっています。こちらでも詳しくご紹介しています。
本文では取り上げませんでしたが、「同じ商品やサービスでも提供の仕方ひとつでこんなに売上を伸ばすことができる」というアイデアとその考え方が豊富に紹介されている一冊。
「広告入りの傘を売る」、「サンプルを有料で売る」、「1枚のメモを1億円にする」、「原価300円のTシャツを2000円で200枚売る、しかも2時間以内に」などなど、何度も読み返していますが、心底感心させられます。