きっかけは@totto777さんのこのツイート。
プログラミング言語考えたやつすげぇな。言語を作る言語ってどうしてんだろ?変なこと言ってるけど疑問の内容としては合ってるのよね?
— とっとさん (@totto777) 3月 3, 2012
これに対して、以下のような返信をしました。
世界の切れ目を見つける力ですね。耳コピとかスケッチとか再生能力。RT @totto777: プログラミング言語考えたやつすげぇな。言語を作る言語ってどうしてんだろ?変なこと言ってるけど疑問の内容としては合ってるのよね?
— しごたのさん (@shigotano) 3月 4, 2012
実は、この「切れ目」という着想には元ネタがありました。
『言葉はなぜ生まれたのか』という本です。
はじめて聞く外国語は、もにょもにょ連続した音の流れに聞こえます。どこが切れ目かわかりません。たとえば、外国のテレビ局のアナウンサーが話していることばを聞いても、何を言っているのかまるでわからないでしょう。
しかし、その外国語の勉強を続けて耳が慣れてくると、ことばの流れのなかにある単語の「切れ目」がわかってくるようになります。(p.58)
この「切れ目」というのがポイントなのです。これをもとに著者はこんな仮説を打ち立てます。
「単語が先にあり、単語を組み合わせていくことによって、ことばができた」
「ことばの4条件の(3)」である「単語を組み合わせて、文章にする能力」を逆に考え、「文章の流れのなかから、単語を切り出せる能力」と、考えてみたらどうでしょう?
つまり、
「単語が先にあり、単語を組み合わせていくことによって、ことばができた」
のではなく、
「歌のような音の流れがまず先にあり、それを切り分けていくことによって、単語ができた」(p.60)
と考えるのです。
この発想には思わずうなりました。
まず「切れ目」を見つける
僕自身、大学で言語学をかじっていたこともあり、人が新しい言語を身につけるプロセスには並々ならぬ関心を持っています。学生時代は個人的に6つの外国語を平行して勉強していた時期もあり、新しい言語を学ぶのにどんな方法が最も効率が良いのかについて一家言もっています。
ベースになっているのは、すでに入手が困難になりつつある『科学的な外国語学習法』という本。以下の記事でも少し触れています。
本書の輪郭をつかんでいただくためのフレーズをいくつか引用しておきます。
- 「君達は学校に行って外国語を習おうとするから、駄目なんだ」
- 外国語学習の意義は、単にコミュニケーションの道具としての言葉を学ぶ、ということだけではなく、思考の幅を広げることにもあるのだ。
- 母国語の学習とは異なり、外国語の性格をふまえた学習方法によって勉強しなければ、外国語の習得は不可能だ。
- 外国語学習は、哲学の勉強であり、外国語が持っている物の考え方を理解しなければ、習得は難しい。
- 本を読むための心構えは「他者を知る」という哲学の問題と同じである。なぜなら、本を読むことは、自己と異なる他者(哲学では“他者”という言葉を使う)を知ることだからである。
- 学習とは、2つ、または、それ以上のニューロン(神経細胞)を結びつける鎖を作ることである
簡単にいうと、ひたすら単語を暗記する勉強法はナンセンスである、ということ。
代わりに、どんどん耳からその言語の音を聞きまくり、耳を慣らすことによって、まさに「切れ目」を見つけられるようになることが最初の到達すべきステージなのです。
このステージに到達してしまえば、あとはラクです。
「切れ目」に沿って言葉をパーツに分解していき、パーツを構成している単語を調べていく、という作業を繰り返していきます。常に単語を文章の中で生きたまま扱うことになり、文脈と関連づけて覚えることができまるため、定着率がアップします。
実際の会話においては単語単体で使うことはなく、必ず単語をいくつか組み合わせたフレーズ単位で使いますから、フレーズ丸ごと覚えてしまった方が実用的なのです。
まず「音の流れ」に耳を澄ませる
そんなこともあり、「歌のような音の流れがまず先にあり、それを切り分けていくことによって、単語ができた」という仮説は、言語学習という観点でもしっくりきます。
音の流れ → フレーズ → 単語、という具合に自然にブレイクダウンしていくからです。
そして、極めつけは以下。
人間は「ことば」をもつより前に、「歌詞のない歌」をうたっていたのではないだろうか?」(p.61)
ある者が、「今日はみんなでマンモスを狩りにいこう」という意味の歌をうたいました。別の者は、「あっちの草原でシマウマを狩ろう」という歌をうたいました。
お互いに別の歌をうたっているうちに、ふたつの歌の中の重なり合う部分が切り出され、このかたまりに「狩りをしよう」という意味がついたのではないか?(p.88)
この流れは外国語学習者の学習プロセスそのものと言えます。リスニングから入って、似たようなフレーズに気づき、このフレーズの意味を知るために単語に分解していく、という流れに沿っています。
「切れ目」を見つける能力を高める
冒頭のツイートに対する返信の中で、「耳コピ」、「スケッチ」、「再生能力」といった言葉を使いました。
世界の切れ目を見つける力ですね。耳コピとかスケッチとか再生能力。RT @totto777: プログラミング言語考えたやつすげぇな。言語を作る言語ってどうしてんだろ?変なこと言ってるけど疑問の内容としては合ってるのよね?
— しごたのさん (@shigotano) 3月 4, 2012
目の前にあるもののうちに「切れ目」を見つけ出し、パーツに分解し、そこにひそむパターンを見抜くことで、記憶という入れ物に格納しやすくなります。
特に、パターンを見抜いておくことで、分解したパーツを再び組み立てる時に間違いなく元の形に戻すことができます。ここで言うパターンは、言語学習においては「文法」と呼ばれています。
このことはプログラム言語にもそのまま当てはまります。ある一つの処理は必ずいくつかのパーツから成り、一定のパターンで組み立てられています。これを知ることで、自分の望むとおりの処理を行うプログラムを書くことができるようになります。
耳コピができる人や精緻なスケッチが描ける人というのは、切れ目を見つける能力が高い人、ということになるでしょう。そうして手に入れたパーツを使って元の音や絵を再現するのです。
イラストレーターのやまもとさをんさんが以前、次のようなツイートをしていましたが、まさにこれがその能力と言えるでしょう(うらやましい)。
物体を見た時に、どの線をどう拾って、何を描いて、何を捨てて、イラストにするか、ってのが自分の中で自然に見える。この自分の持つ見えざる回路を、いかに言葉で伝えるかってのが肝要なのだよねえ~。
— やまもとさをんさん (@sawonya) 4月 30, 2011
言語を作ることができる人というのは、言語における「切れ目」を見つける能力が高い人、ということになるのだと思います。
自分にとってよく見える「切れ目」が独自の「切り口」になる
少し飛躍しますが、何かの専門家というのも、普通の人には見えない「切れ目」が見える人、ということになります。
このあたりについては以下の記事でも書いたとおりです。
「違い」がわかる人とは、言いかえれば特定の領域を深く深く掘り続けている人です。意図的にそうしている人もあれば、「好きだから」という理由で知らず知らずのうちに深みに飲み込まれている人もいます。
たとえば、僕が今からがんばってイラストを勉強して、やまもとさをんさんのような「自然に見える」ところに到達しようと努力するのは無駄ではないかもしれませんが、限りなく無謀に近い感じがします。
それよりも、自分にとって「自然に目に入ってくる切れ目」というものを見つけることを優先した方が、無駄が少なく、従って有望でしょう。
世の中で活躍している人というのは、少なからずこの「切れ目」を見つけ出した人なのではないか、と思います。そこを起点にその人独自の世界が切り開かれていくからです。
参考文献
子ども向けの本なのですが(むずかしい漢字にはルビがふってあります)、油断して読んでいたら引き込まれてしまいました。子どもの頃に読んだ本というのは大人になってから読み返すと、新たな発見があるものですが、この本もまた読み返しがいのある一冊です。
お子さんがいる方は親子で読んで意見交換をしてみるのもおもしろいかもしれません。
学生時代に出会って、繰り返し読み込んでいます。
内容としては、外国語学習15の間違い、学習の進め方に関する7つのアドバイス(できるだけしゃべる、書き取りをする、文法は日本語ではなく学習言語で覚える、など)、具体的な勉強の手順、などなどきわめて実践的な解説書になっており、教養と技術の両方がバランスよく身につく中身の濃い一冊です。
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