バックスペース恐怖症としこうさくご

カテゴリー: R25世代の知的生産

trial and error
photo credit: D Lich via photopin cc


何かを実行し終えた時に、「もっと、うまくやっておけばよかったなあ~」と思うことはよくあります。

注意していれば防げたミスにぶち当たったり、効率的に処理する方法を発見したりと、「最初からこうしておけば・・・」と肩を落としてしまうこともしばしばです。時に後悔に似た気持ちが沸き上がることすらあるかもしれません。

このような状況はプラスの側面とマイナスの側面があります。

プラスの側面は、改良点が見つけられることです。上のような発見は、一種の「気づき」と言ってもよいでしょう。より良く物事を進めた行くための方法は、「気づき」による改良の積み重ねによって生まれてきます。はじめから完璧な方法などどこにもありません。

では、マイナスの側面はなんでしょうか。それは、後悔の気持ちが大きくなりすぎる場合があることです。あまりに後悔の気持ちが大きくなると、バックスペース恐怖症をもたらします。


バックスペース恐怖症とは?

バックスペース恐怖症」は、木村泉さんの『ワープロ作文技術』に登場する言葉です。

ところが多くの日本人(特に中高年者)は、とかく改まったとたんにおかしくなる。特に英語をしゃべろう、などというときは大変なバックスペース恐怖症に陥る。「三単現のS」(主語が三人称単数のとき動詞の語尾につくs)をつけそこなったら恥、などと思って舌をもつれさせる。またキーボードに向かったとたんにそうなる。間違ったら大変、と指をぶるぶるさせる。

「過ちを恐れるあまりに、うまく行動できなくなる現象」と言い換えてもよいでしょう。ようは失敗したくない、ミスをしたくない、恥をかきたくない、効率的な方法でしかやりたくない、という思いが強すぎると、行動に結び付かなくなってしまう、ということです。

もし、私のパソコンが異常作動していて、deleteキーが使えず、入力した文章がそのままBlog上にアップされてしまう、という特殊な環境だったとしたら、怖くて何一つキーボードを叩くことなどできなくなってしまうでしょう。そんな状況で文章を書くことなど不可能に近いものがあります。

しかし、この世界線にはdeleteキーが存在しています。失敗は後からリカバーできます。

一度、間違えることを気にせず入力し始めると、すいすいタイプが進みます。手直しは完成した後で、じっくり行えばよいこと。一文一文を練り上げながら書き進めていく原稿用紙入力とは大違いの環境です。

『ワープロ作文技術』には次のような言葉も出てきます。

ワープロ作文技術の一つの要点は、バックスペースを恐れないことである。

これは文章作成に限らず、アイデア制作作業全般に言えることではないでしょうか。

小さいアイデア、ダメそうなアイデアでも、拾い上げて少し作ってみる。ダメだったら思い切って削除する。削除してしまっても、それは決して「無駄」なことにはなりません。少なくとも何がダメだったのかを一つ理解することができます。

しこうさくご

たとえば、このBlogの原稿でも、実際に原稿としてアップする前に、大幅な手直しをすることはよくあります。いくつかの段落をざくっと削除することも珍しくありません。3000字ぐらい書いて、2000字ぐらいにまとめる、なんてことはざらにあります。

後から考えれば削除してしまった1000字は「無駄」な文章に思えてきます。はじめから書かなければ良かったんじゃないかと思われるかもしれません。

しかし、それが「無駄」かどうかは、実際にそれを書いてみるまではわかりません。全体のバランスや比較を通して初めて、「この部分は必要ないな」と判断できるわけです。

表現がちょっと変な文章も、実際にそれを書いて読み直す段階にならないと、変かどうかを判断することはできません。頭の中で「変な文章は書きたくないな」と思っているだけでは、変な文章を避けることなどできない、ということです。

とりあえず一度プロトタイプを作って、それを修正していく中で、最終形に近づけていくこと。こういうのを日本語では試行錯誤する、と言います。

私は、何かを生み出す場合は、試行錯誤よりも、試行作誤の方が適切ではないかと思います。

試しに行い、誤りを作る。

誤りというのは、上に書いたように、実際に作ってみて初めて見えてきます。

「誤」は最終的な成果物では不必要なものですが、それを取り除くためには一度実際に作り出し、それを認知しなければいけません。最初から「誤」を生み出すことを避けすぎてしまうと、結局は新しいものを何も作り出さない、ということになってしまいます。まさにバックスペース恐怖症です。

さいごに

皮肉ですが、「最初からこうしておけばよかった」というものは実際にやってみることでしかわからないものがほとんどです。実行して(そしておそらくは失敗して)、得られることはいくつもあります。

効率的な方法、かっこよいアウトプット、スマートなアイデアにあこがれる気持ちは大切ですが、あまり意識しすぎると、最初の一歩を踏み出せないままになってしまうことも考えられます。

そういうときは、しこうさくご、とつぶやいてみてください。

▼参考文献:

わりと何度も読み返している本です。文章創作の手がかりがいくつも埋め込まれています。


▼今週の一冊:

タイトルの通り、作家・村上春樹さんと指揮者・小澤征爾さんが音楽について語り合っている作品です。もちろんクラシック。

なかなかディープなので、音楽的な話にはついていけない部分がありましたが、それでも芸術をクリエイトしている人の視点というのは非常に面白く読めました。

「良き音楽」がいかに作られていくのか、という過程は感動すら覚えます。


▼編集後記:




ちなみに、「しこうさくご」は「思考作誤」と表記しても面白いですね。頭の中で考えていることって、いかにも完璧なイメージなんですが、実際に文章にしたり、イラストにしたり、数式として展開していくと、「あれ?」ということになります。作誤ですね。でも、そういう過程を通さないと、ハラに落ちる理解というのはなかなかできないのかもしれません。


▼倉下忠憲:
新しい時代に向けて「知的生産」を見つめ直す。R-style主宰。


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